既知だらけのテレビ。
(2010年5月24日)

カテゴリ:広告など
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先週の土曜日は日本広告学会の集まりだった。
集まり、っていうか正式には「クリエイティブフォーラム」というもので、丸一日かけて「クリエイティブ」をテーマにいろいろな人が発表する。学会の大会では会員中心になるのだが、今回は広くクリエイターを招いた。
そこで、僕も研究報告ということで話したのだった。
テーマは広告なんだけど、社会やメディアの話をする中でテレビのことに触れた。
そこであらためて思った、というか話しているうちに気づいたんだけど、本当に今のテレビって「未来」の情報が少ない。
ノンフィクションでいうと、ニュースやスポーツ中継や討論番組は「現在」を伝える。
そして歴史など「過去」を伝える番組もある。ところが「未来」に関する話って、減っている気がする。2000年頃はNHKなんかで色々やっていた気もする。
時間軸だけで考えないで言うと「未知」の話が少なくなっていると思う。たとえばクイズ番組。昔は「世界なんとか~」みたいなクイズ番組があって視聴者に「未知の情報」を提供していた。いま、そうした番組は減ってしまった。クイズとか見ていると視聴者にとって「既知の情報」を出して、それを知らない芸人を笑うという構図である。
広告だって「見たことのない世界」がどんどん減ってきた。かつてのTVCMは「未知の世界」を提示して、そこに消費者を誘うというのが定番だった。今でもそういうのは多いけれど、関係者はその効果の低さにアタマを悩ましているのだろう。
そして、番組も広告もテレビには「現実」だけが溢れかえった。


これは、高齢化とも関係ある気がする。かつて関沢英彦さんが高齢社会のことを「記憶の総量が増加する社会」と言った。これは逆に言うと「将来への想像の総和が減少した社会」とも言える。
そう、齢を重ねると未知の情報への欲求は薄れる。それはそうだ。自分に残された時間は少なく、現実こそが大切なのだ。そして、現実の中で生き残るための情報を求める。「オトク」な情報だけが氾濫するが、そこにあるのは「既知の商品の未知の価格」である。
ネット上では若い人がi-pad という未知の情報で沸いている。そうした商品に限らず、未知の情報はもはやマスメディアから消滅しつつあるのだろう。既知情報ばかりに溢れたマスメディアは、「未知」を届けたい志のある事業主にとってきわめて居心地が悪いのではないか。
マス広告の「衰退」というのは、記事や番組の質と密接に関連しているのだ。
なお、学会発表のファイルはこちらからご覧になれます。