リアル書店の切なさ。
(2010年7月27日)

カテゴリ:世の中いろいろ
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コメント(2)
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宝塚の「トラファルガー」を見た勢いで、同時代の歴史書が読みたくなった。最近、本を買うのはほとんどがamazonなのだけれど、久しぶりに書店の本棚、特に歴史ものでも見てみようかと紀伊國屋書店の新宿南店へ行った。
だだっ広い割に専門書の並びについてはかなり悪いイメージがあるので、あまり行かない本屋である。ただし、あまりに暑いので地下にパーキングのある書店を選んだというだけの話なんだけれど。
結局、一冊も買わなかった。歴史のコーナーに行ったのだけれど、「フランス革命」「ナポレオン」はともかく、同時代の欧州を俯瞰するような書物は見つからない。もっとありそうなのに……と思ってふと気づいた。
新書、選書、あるいは文庫はここにはないのだ。別のフロアに行かなくてはならない。しかし、行ったところでそうした版型の本は出版社別である。探すのは、かなり苦労する。出版点数が増加したことで、リアル書店の構造的な問題がますますクッキリとしてしまった。
結局、一人でカレーを食べて家に帰った。
そして、結局携帯で検索しているうちに、面白そうな本が見つかってきた。
しかし、リアル書店は厳しいんだろうな、と改めて思う。書棚を見ると、いろいろと分類されている。本と本の間に「タグ」のように項目名が挟まっているけれど、これが何とも、キビしい。
近代史のあたりだと「フランス史」「アフリカ史」「ベネルクス史」のように基本はエリア別なのだけれど、例外的に「テーマ」でタグがある。この書店の場合は「ナチス」「ホロコースト」そして「従軍慰安婦」だ。ちょっとずれたとところには「三国志」があった。
つまり、この書店の歴史観はそういうことなんだろう。


帰りがけに社会学のコーナーを眺めると「マクドナルド化」「リスク社会」「希望学」というタグが並んでいた。しかし、それぞれの間仕切りには2~3冊しかない。
わざわざ、リアル書店にいくのは「知識の文脈」をたどることができるからだ。しかし、この程度の分類を眺めるために、暑い中わざわざ出かようとは思わない。いや、涼しくたって、行かない。
書店によっては棚の一部を評論家に外注して成果を上げているところもあるらしいけれど、個人的には、それにも大して興味はない。amazonの情報を見ているほうがヒントになる。
リアル書店から、その最大のメリットだった「本と本の文脈」が消えようとしているようだ。仮に文脈があったとしても、それは好奇心を呼び覚ましてくれるものになっていない。
そこまで求めないにしても、消費者のニーズに答えているのだろうか。
書店の世界において「リアルの充実」は、かなりの難行となっていくのだろう。ただ、それは電子書籍以前の問題のように思う。
本屋が好きだった者にとっては、何とも切ないが。



リアル書店の切なさ。」への2件のフィードバック

  1. 笑鬼 より:

    全く同感です。かなり前から、本屋歩きをしなくなったのもその理由です。
    背表紙のタイトルを凝視して、頭の中で、「いま」を結びつけながら、ある水脈を探していたのですが、無理になりました。
    作家のタイトルの付け方も、編集者の意図も、中身よりセールストークだけが聞こえてくるし、それは、テレビ界のストレートニュースとワイドショーの捉え方に疑問を感じ、世論誘導の企てをする何者かの力すら感じ、むしろ、WBSの社会現象のほうが爽やかでさえあることに似ています。
    アマゾンの方が、確かに、キーワードで、近似知的ライブラリーの役割を喜んでいます。
    「積ん読」に近い体験を、「買いたい欲しい本」にクリックして、自分専用の書店を造っています(笑)。

  2. 山本直人 より:

    コメントありがとうございます。
    「欲しい本」の方が書庫になるのかもしれませんね。本は読む前、旅は行く前が一番ワクワクしますから。
    暑い日々が続きますがご自愛ください。