懐疑するという大切さ~『ネット・バカ』
(2010年12月6日)

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【書評】ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること
ニコラス・G・カー 篠儀直子訳
青土社
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「この本はネットを糾弾し、ネット以前の世界へ戻ることを推進する本ではないかという性急な推測が、タイトルだけを見た時点ではなされがちであるかもしれない。」
訳者あとがきで、このようなことを書かねばならないこと自体、この邦題は訳者にとって不本意だったのかもしれない。
この本のベースになった論文が”Is Google Making Us Stupid?”であり、これはまさに「グーグルでわれわれはバカになりつつあるのか」という感じではある。しかし、この本の原題は”THE SHALLOWS”だ。「浅瀬」という意味から転じて、「浅薄な」という意味合いの言葉だ。
タイトルの原題のことを長々書いても仕方ないと思うが、どうしても「ネット・バカ」という邦題で誤解されているような気もする。この本は。決してネットを糾弾するほんではないし、単純なメディア論でもない。
人は情報からどのような影響を受けてきたのか。その影響は、メディアの形態によってどう変わるのか?ということを問いかけている本である。
インターネットが人の思考自体を変えてしまうのか?というこの本の問いかけ自体は、自然なもののようであるが、あまり正面切って論じられてなかった。しかし、それを考えるのに「紙の本とウェブ」のような比較論自体が実は「浅薄」であることを、この本は教えてくれる。

近代において、読書は長いこと「教養ある人としての、あるべき嗜み」と位置づけられていたように思える。しかし、それはグーテンベルク以降に生まれた人間の間における「常識」だった。そもそも一般人の間で「黙読」という習慣が広まったことも、そう昔のことでもない。
紙と活字の文化自体を相対的に捉える文脈の中で、「なんか聞いたな」と思ったら『声の文化と文字の文化』(W.Jオング・藤原書店)の引用があったりもする。つまりこの本は「ネットが人を変えるか」ということ以前に、「人にとっての知識とは何か」ということを論じた本なのだ。
面白いのは、著者のカーの私的体験が語られていることで、読みやすくなると同時にむしろ説得力が高くなっていることだ。彼は英文科を卒業したジャーナリストであるが、文科系の中では、いち早くパソコンに関心を示してきた。そんな、彼がITに対して懐疑的になったり、それでも価値を認めて付き合っていくプロセスを思い出したように書く。
それが、この本の独特な魅力になっている。
このような本を読むと、あらためて「疑う精神」というものの大切さを感じる。
なぜなら、ネットを含めたメディアについての議論が日本ではそれこそ「浅薄」だから。単なるネット賛美、もしくは新テクノロジーの「煽り」、逆に「ネット=危険」という十年一日のラベリング。出身業界を罵倒するオールド・メディアのOBや、嫉妬心ばかりが強い自称起業家。説教好きな中年と、被害者意識が先走る若者。
そんな混沌と距離を置きたいと思った時、この本は自分のアタマを整理するのにうってつけである。
インターネットの役割はまだまだ拡大していくと思うけれど、その文化は大きな転機を迎えているのではないかと思っている。そんな疑問を持った人であれば、一度読んでおいてもいいのではないだろうか。