ローカル化する本棚。
(2012年2月13日)

カテゴリ:世の中いろいろ
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「タワー棟」を新築した。別に家を建てたのではない。自宅の仕事部屋の棚を増築したのだ。おそらく、その殆どは書物で埋まるだろう。
今の部屋はオーダーメイドの書棚とデスクがある。難儀なのは書籍の収納だ。どうにも大変になって来たので、写真のように棚を増やしたらいかにも「タワー棟」のようだ。
この部屋には写真に写っていない所にもう一つ本棚がある。別の部屋にもあと二つあって、この工事と一緒のタイミングでもう一つ増やした。
で、近所のレンタルルームに天井までの書棚が5つある。これがかなり埋まってきている。つまり書物の収納はかなり悩ましいのだ。どうしてくれよう、というわけで当然電子書籍の話が気になる。キンドルとか、どうなるんだろ。
電子書籍に否定的な人って、こういう悩みはないんだろうか。よほど広大な家に住んでいるのか、何か本を小さくする技術でも持っているのか。ドラえもんにあった気がするが、そういう道具が。
出版関連ビジネスが、電子書籍にいま一つ積極的でない理由もいろいろあるだろう。「紙は古い」で済むわけもない。自分だって本を書く立場だから、まあ事情はわかる。しかし、一人の読者としてはやはり「アトムからビット」になってもらわないと、収納のためにカネを使うのはいい加減にそこそこにしておきたいわけだ。
しかし、日本で電子書籍の展開が鈍いのは「日本」の問題というより「日本語」の問題なんだろうと思う。


今後日本語人口は増えていかないので、日本語書籍の市場は厳しくなる一方だ。新しい技術は既存の市場を脅かすように見える。
一方で、「英語を読む」という市場は十数億人規模で、非公用語の国でもエリート層が使用する。そういった人は、電子書籍は便利だ。出版側から見ても、楽にデリバリーできる。
電子出版で、英語の書籍は世界同時に読むことができ、議論されていく。紙だろうが電子だろうが、日本語になる頃には次の周回に入る。その時間差は以前からあったと思うが、電子化でどんどん加速している気がする。
ネット上の「先進英語圏」に参加できるかどうか。どの国のどの学校で学ぶか、という以前にその方が大事になっていくんだろう。
ということは、学生相手に話しているんだけど、自分はまだ日本語の紙の書物をどう納めるかに頭を痛めている。なんだか、タワー棟できたのにこんなこと考えたら空しいだけじゃないか。