「タニタ食堂」としての池上彰。
(2013年10月25日)

カテゴリ:マーケティング,世の中いろいろ

大学生など若い人がネットに過度に依存している「情報偏食」の話をすると、必ず疑問が聞かれる。
「じゃあ、マスメディアはバランスがいいんですか?」
これに対しては、「ジャンクフードより定食の方がいい」としかいいようがない。ただ、この定食もかなり癖が強くなっている。新聞も社によって、かなりスタンスが変わる。皆が同じよりはましかもしれないが、何かこう頑固というか極端な感じが強い。
新聞などはさまざまなカテゴリーのニュースを掲載しているという意味では、たしかにバランスのいい定食に見えるが、味つけや盛り付けは、それなりに偏っている。
僕はたまたま妙ないきさつから、高校生の頃からしばらくは家で3紙もとっていたし、その後もメディアに近い仕事していたので、癖は大体わかる。というか、新聞を若いころから読んでそれに対する批判も知っていれば、だいたいバイアスを自分なりに制御するだろう。
「ここの漬物は塩がきついから残す」「この揚げ物は全部食べると重すぎる」とかいうようにで食べる感じだ。
つまり、新聞の記事もすべて読み込むわけではないし、論説を鵜呑みにするわけでもない。
中には極端な味付けが癖になる人もいる。原子力発電関連の記事などが新聞によって極端になるのは、「もっと刺激がほしい」という客が一定数いるからだろう。まあ、その結果どうなるかはともかく。
一方で、ネットで好きな情報ばかり集めるのはジャンクフードみたいなものだ。米国にcomfort foodいう言葉があって「心地よい食べ物」なんだけど、これはホットドックやハンバーガなどを指す。日本だったら、それに加えてラーメンや牛丼だろうか。


つまりバランスが悪くても、そうした食べ物は「心地よい」のであって、それは情報もそうかもしれない。ソーシャルメディアで価値観の似た、というよりは単に「気の合う仲間でやり取りしている空間は、好きなラーメン食べてるようなもんだから。
分かった上でそれでいい、というなら別にいいけれど「やばいだろ」と思っているから、学生などにもそれなりの焦りがあるんだと思う。
さて、情報もバランスが大事とアタマでわかったところで、どうやら新聞なども結構癖がある。ましてや、「ここは食べません」という部分が多過ぎる定食にカネを払うのをためらう気持ちもわかる。
このバランス感覚を満たすようなメディアって何だろう?と考えた時にふと思ったのが池上彰氏だ。
かれは守備範囲が広く、解説はわかりやすく、幅広い見方を提示してくれる。まさに「情報の栄養士」だ。この、安心感。「情報偏食」をみな恐れているからニーズがある。タニタ食堂に人気があるのと同じかもしれない。
しかも、選挙の後には一晩限定の「麻辣の夜」があって、それもまた人気。
つまり、彼の編集力と切り口は、メディアの足りない部分、かつ求められていることなんだということに改めて気づく。
その一方で、多くのマスメディアは「あれではつまらない」と考えているのだろう。ただ、それはマスメディアのジャンクフード化を促すことになると思うのだが。