2013年11月アーカイブ

222-Rite_of_Spring_opening_bassoon.png 2013年11月20日 ミューザ川崎シンフォニーホール
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 演奏会
シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 作品38「春」
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 作品19
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
ヴァイオリン:樫本 大進
指揮:サイモン・ラトル
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
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いったい、今まで聴いていた「オーケストラ」とは何だったのだろうと思わされてしまう「春の祭典」だった。
「オーケストラは西洋文化の生んだ最高のソフトウェア」と、高校の先輩が言っていた言葉を思い起こす。ただし、このソフトウェアも千差万別で、そのための曲も無数にある。ただ、百年前にストラヴィンスキーの書いた意図が、ここまでクッキリと浮き上がってきた時間を経験できたことは本当に幸せだったと思う。
最高の演奏、というよりも人類史上における「共同作業の到達点」の1つだと思う。多くの人が、1つのことを成し遂げる。言葉で書けば簡単であるが、全員が対象について深く理解して、共通の認識を持ち、かつ高度な技術を有していなければこんな演奏はできない。
機能性が高い、とかパワーがすごいという言葉で片付けてはこの演奏の意味はまったく捉えられないと思う。
それって、素晴らしい食事のあとで「お腹がいっぱいです」という程度の感想でしょ。
ファゴットの冒頭から紡ぎだされるメロディから広がる不気味な世界に、異次元から割り込むEsクラリネットの衝撃。ここままでで、もう「他のオケとは全く違う集団」だということがわかる。
ストラヴィンスキーの楽譜を全員が読み込んで、その音楽を懸命に再現しようとしている。うまいだけではなく、志が高い。音楽を尊敬している。
でも、オーケストラに限らず、真剣に鍛錬した人間が、毎日努力して、「もっとうまくできるはず」と挑戦を続けている集団だってどれだけ世界にあるのだろうか。

聴き終ったあとの感想は、本当に単純だ。
「これが、オーケストラなんだ」
いや「オーケストラだったのか」と言ったほうがいいのかもしれない。。
それ以上に、言葉も無し。本当に感動した時には、また違った溜息がが出るんだなと改めて知った。



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2013年11月18日 東京文化会館
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団演奏会
ワーヘナール : 序曲「じゃじゃ馬ならし」 op.25
ストラヴィンスキー : バレエ「火の鳥」組曲 (1919年版)
チャイコフスキー : 交響曲第5番 ホ短調 op.64
〈アンコール〉
チャイコフスキー: バレエ「眠りの森の美女」から パノラマ
指揮:マリス・ヤンソンス
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
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演奏前に報道のカメラが二階正面にカメラを向けていた。最前列が空いていたのだが、やはり、というか皇太子ご夫妻が入られる。さすが、オランダ王立オケ。
で、お迎えしての一曲目が「じゃじゃ馬ならし」…というのは、もう何といえばいいんだろうか。まあ、R.シュトラウスを連想させる軽やかな曲でさらりと。
続いての「火の鳥」は、凝縮された音楽と卓越した管楽器を楽しむことができた。東京文化の、幾分乾いた響きが木管の巧みさをいっそう印象付けている。
そして、休憩を挟んでのチャイコフスキーに。
5番のシンフォニーは、アマチュア・オーケストラが演奏して「成功確度の高いシンフォニー」のトップクラスだと思う。(ただしファーストホルンが吹ければ)つまり、少々青臭いところがあって、フィナーレのコーダは、普通に演奏できれば普通以上に受ける。
逆に言うと、プロフェッショナルが取り上げるには意外と難しい面がある。熱くなれば、「そこまでやらなくても」という感じになるし、サラリとやると不満が残る。
ヤンソンスは毎年のように聴いているが、やはりロシア系の作曲だと「スイッチが入る」ことがあるので、今回はこのプログラムを選んだ。

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2013年11月13日 歌舞伎座 夜の部

歌舞伎座新開場柿葺落 吉例顔見世大歌舞伎
「仮名手本忠臣蔵」
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
     同   二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
七段目 祇園一力茶屋の場
十一段目 高家表門討入りの場
     同 奥庭泉水の場
     同 炭部屋本懐の場
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新しい歌舞伎座には先月初めて行ったのだけれど、やはり気になって今月も足を運んだ。今月から来月にかけて、二カ月にわたって「仮名手本忠臣蔵」というのは、25年ぶりだという。
この演目を見るのは、「平成中村座の5年ほど前の興行以来だ。
開演前に中村福助が体調不良で休演とのアナウンス。代役は芝雀となる。どうもあちこちに無理がかかっているようにみえる。だったら彼らを出せばいいのに、と思うのだが、まあ大人の世界にはいろいろあるようで。
菊五郎の勘平、吉右衛門の大星由良之助と、安定感は十分の舞台である。ただ、吉右衛門の声の通りがあまり良くなかったのが気がかりではある。
見終わってから感じたのは、この忠臣蔵というお話は果たしてこれからも日本人の中で「定番のお話」であり続けるのかな、ということだ。歌舞伎をはじめ、芝居や映画、ドラマで忠臣蔵ほど取り上げられたものはないだろう。
ただ、自分の中でも、既にこのストーリーへの共感性は薄い。刃傷沙汰を起こす塩谷判官(つまり浅野内匠頭)から、四十七士の行動にいたるまであまりにも様式化されているからだろう。
そういう意味では池宮彰一郎の「四十七人の刺客」は、面白かったのだけど、歌舞伎となるとそうも言ってられない。

>> 忠臣蔵はいつまで共感されるのかなあ。の続きを読む



219-meet.png近所にある肉屋が、潔い。肉屋が潔いというのも変な話だけど、最近の食品偽装問題を聞いてると、そう感じる。
この店で牛肉を買おうとすると、どうなるか。
安い順に「牛上肉\470」「牛最上肉\520」で、次が何と「牛肉\630」なのだ。\730の牛モモ肉、牛肩ロースと続いて「特選牛肉\840」となっていく。
「牛肉」が「最上肉」より安いのも謎だけれど、産地など一切書かれていない。というわけで、その時の懐具合や料理に応じて相談しながら何となく決める。
牛は牛、豚は豚、鶏は鶏。
昔は、と言っても20年くらい前はこれが普通だった。基本的には「牛肉」という「普通名詞」の食品を食べていたのである。その頃、固有名詞を持っていたのは、神戸、松坂、近江くらいだった。
魚もそうだ。「関鯵」「関鯖」あたりから、固有名詞化してきたと思う。
「固有名詞化」というのは、「ブランド化」に他ならない。ブランド論というと、いろいろややこしいことを言う人もいるが、結局は「固有名詞」を認知してもらえないと、価値構造も何もあったものではない。
会社員時代に「ブランド本」というムックを編集したのが15年前で、その後ブランドコンサルティングの立ち上げにも関わった。ブランド論議は大体わかっているつもりだが、この間に起きたことは、「固有名詞の認知競争」があらゆる領域に広がったということだ。

>> 「固有名詞」を食べてきた日本人。の続きを読む



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2013年11月5日 サントリーホール
パリ管弦楽団 演奏会
シベリウス: 組曲『カレリア』 op.11
リスト: ピアノ協奏曲第2番 イ長調 S125
〈アンコール〉
ラヴェル :『クープランの墓』から「メヌエット」
サン=サーンス: 交響曲第3番 ハ短調 op.78 「オルガン付」
〈アンコール〉
ビゼー:管弦楽のための小組曲op.22『子供の遊び』より「ギャロップ」
ベルリオーズ:『ファウストの劫罰』より「ハンガリー行進曲」
ビゼー:オペラ『カルメン』序曲
ピアノ:ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ
オルガン:ティエリー・エスケシュ
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
パリ管弦楽団
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パリ管を聴いたのがいつ以来だったのか、なかなか思い出せない。確実に記憶しているのは1985年にパリで聴いたことだ。バレンボイムのスクリャービンで、まだ僕は大学生だった。
おそらく、それ以来だと思う。つまり、「ほぼ初めて」ということだろうか。フランス放送響は幾たびか聴いているのだけど、パリ管はなぜか縁がなかった。
一曲目から少々驚いたんだけど、ヤルヴィという人は本当に律儀だ。カレリアが、あまりに立派で、堂々としていることに少々驚いた。
かなり、ズッシリした前菜。しかし、ソースはくどくない。このコンビ、どうやら絵にかいたようなフレンチ・テイストではなさそうだ。
リストは、ピアノが精妙だけど軽やか。チェロのソロとのアンサンブルは、本当に印象的だった。2番のコンチェルトを聴く機会は少ないが、重すぎず、まとまりもあって、もちろん華やか。この日の演奏の中で、ある意味もっともフランスらしさを感じたようにも思う。
そして、サン=サーンス。
こういってしまうと身も蓋もないけれど、この曲はプロフェッショナルが真っ当に演奏すれば、必ず盛り上がるようにできている。だから、聴き終ってしばらくするとフィナーレの印象ばかりが記憶に残ることが多い。

>> ヤルヴィは、律儀なフレンチ・シェフだった。の続きを読む