腕時計とクルマとスマホの関係。
(2014年4月4日)

カテゴリ:マーケティング

昨年あたりから、高級腕時計が売れているという話を聞く。ほぼ、アベノミクス効果で説明できるようだが、そればかりでもない気がしている。株高による資産効果は主に中高年以上に対してプラスになるわけだが、結構若い人も多いらしい。複数の記事でそんなことを報じている。

「景気回復で若い人も財布のひもが緩んできた」というくらいの分析だけど、そもそもそのおカネってどこにあったんだろ?と思っていた。

で、ふと気づいたことがあったのだ。

最近、20代から30代前半の男性ばかりとメシを食っていたんだけど、かなりいい時計を持っている。昨年買ったというものもいた。
共通点といえば全員正社員で、それなりの所得がある。未婚者も既婚者もいる。そして、都区内在住なんだけど、クルマを持ってない。

どこに腕時計買うカネがあったのか?といいえば、そこに「あった」んだなと。昔なら「クルマを買って維持するカネ」の一部をを時計につぎ込めば買えるのだ。数十万で時計を買えばかなりのモノが買えるかもしれないが、クルマでどうなるかはわざわざ書くまでもないだろう。

で、ここからはちょっと思いつきのこじつけっぽいんだけど、スマートフォンも関係しているように思うのだ。かつて、携帯電話が普及した1990年代後半に、若者が腕時計をしなくなった。その際は「携帯で時刻がわかるから」という説明がされていた。

ただ、単にそれだけではないと思う。自己主張の道具として携帯電話が全盛になったため、時計がその座を奪われようにも思うのだ。さらに昔ならば、会議室に入ると多くの人がまず煙草を取り出して自分の前に置いた。

吸う前に「取り出して置く」というのが重要で、自分の分身をそこに置くような行為に見えるのだ。それが缶コーヒーのこともあり、やがて携帯電話になった。

ところがスマートフォンは、見た目が似ているし、職場によってはほぼ全員がiphoneだったりする。そんな中で、時計が「自己主張の道具」として復権したのではないだろうか?

何てことを考えていたら、こんな記事があった。
「スマートフォン、iPad、iPodなどの登場後、機械時計の販売数はさらに伸びた。つまり、消費者は精密性よりも感情を重視しているということだ」これはスウォッチグループのニック・ハイエックCEOの言葉なのだ。

ところが、日本で輸入時計が伸びているからといって、時計市場全体が伸びてるわけではない。日本時計協会の「我が国の時計市場規模」という資料には、「ウオッチ完成品の市場規模は、数量は42.6百万個、前年比12%減であり、実売金額は6,405億円、同21%増であった。」とある。

つまり高額品は売れてきたが、全体の数量は減っている。そして「クルマは持たない/スマホは使う/時計はいいモノを」という若者は潜在消費力は相当強いと思うが、この層をつかまえているのは、ことごとく海外ブランドだ。クルマ離れしているはずの若者だって「買うならドイツ車」で、こちらもかなり好調だし。
日本企業が「今の若者は」論を鵜呑みにしたままに、横着してきたツケはまだ出てくるかもしれない。