「人を動かしたい」について改めて考えてみた。
(2014年8月19日)

カテゴリ:メディアとか,読んでみた

広告会社にいた頃、新卒採用の面接をしている時に最も多い志望理由の一つが、

「人を動かす仕事がしたい!」というものだった。

「ウ~ン、たまには“人に動かされたい!”って学生来ませんかね~」

「オオォ!そりゃ、即採用だよ」

何て会話をした記憶もある。そう、「人を動かしたい願望」があって、マーケティングやメディアに関心を持つ人は多いのだ。実際は、そうとう「動かされる」毎日なんだけどね。

本田哲也、田端信太郎両氏の共著「広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい」を読んで、ふとそんなことを思い出した。この本は、夏休みに入る前にkindleでダウンロードしていたのだけど、帰宅したら著者からご恵送いただいていた。ありがとうございました。

で、「人を動かす」というと、カーネギーの有名な著作がある。この本はマネジメントについて語っているので、どちらかというと「目の前にいる人を動かす」話が多い。
一方で「メディアを通じて」人を動かす時の作法は当然異なってくる。今までの広告会社が「人を動かす」をいう時は、企業がマスメディアを通じて行う活動が殆どだった。

その場合、「誰が言っているか」というと、まあ当たり前のように「企業」である。だから、それを前提にして「何を言うか」を必死に考えてきた。それが、いわゆる「コンセプトメイキング」であり、コピーだ。

ところが、ネット上の「情報爆発」が起きてくると、「何を言うか」の差別化が難しくなる。そうなると「誰が言っているか」が、関心の的になってきた。それは、有名人かもしれないし、匿名の誰かかもしれない。山ほどあるダイエット法などを振り返れば、よくわかる。

言っている内容は「食生活」か「運動」の改善しかない。ただし、「誰が言っているか」によって相当影響は変わってくる。

人は、他者の影響を受ける。それは「目の前の人」かもしれないし、「メディアの向こうにいる企業」かもしれない。ところが、当然その間には無数の他者がいて、それぞれが微妙に「知ってる人」だったり「知らない人」だったりする。

本書では1000人から、10億人までの「人の動かし方」がケースとともに語られている。あらためて読むと話者の設定が巧みなことが多い。そして、話し手と受け手の距離感が絶妙だ。
「人を動かしたい」という人が何十年前から集まっているはずの伝統的な広告会社では「何を言うか」というスキルは、組織の中に相当ある。一方で「誰が言うか」については、意外と未開拓だ。マス広告では「話者が企業」、という前提だから。もちろん、研究は進んでいるんだろうけれど。

この本を読み終えると、こうしていろいろな疑問や仮説、「あれ、どうなってるんだろ?」ということが浮かんでくる。学生時代に「読んで納得する本ではなく、読んで疑問が湧いてくるのがいい本」と先生に言われたけれど、そういう意味でもいい本だと思った。