2015年03月アーカイブ

「ていねいな暮らし」という言葉がいつ頃からチラホラと見られるようになったが、どこかとってつけたような表現で、その世界観には「本物の顔をした偽物」の空気を何となく感じていた。

ジェーン・スーの「ていねいな暮らしオブセッション」というコラムを読んで、「そうそう」と笑っていたのだが、ここに来て事態はややこしくなった。

どうやら、自分の生活は他者から見ると「ていねいな暮らし」らしいのだ。

きっかけは、妻が同年代数人と話していたことに遡る。自宅でお茶を淹れる時に急須を使っているといったら、他の人は誰一人急須でお茶を淹れてなかったそうな。ティーバッグ、ペットボトルか、粉末茶など。

結果、周りから「山本家は優雅」と認定されたらしい。そんなものなのか。

で、「実は自分たちは『ていねいな暮らし』なのか?」と、気になっていろいろ調べたのだが、以下のような行動が該当しそうなのだ。

・糠床を毎日かき回して、糠漬けを漬ける(担当は自分)

・万年筆で暑中見舞いなどを書く(これも自分)

・毎朝コーヒー豆を挽いてドリップする(妻が作って二人で飲む)

・梅干を漬ける(これは妻がやっている)

・玄米を食べる(白米と半々だけど大概そうしてる)

なんと、僕たちは「ていねいな暮らし」の人だったのではないかという疑惑は膨らむ一方である。 >> 「ていねいな暮らし」という、ていねいでない言葉。の続きを読む