80年代のクルマ文化は「国鉄」が支えてたのかも。
(2015年7月21日)

カテゴリ:マーケティング
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夏が来た。

これからあちこちで賑わいの季節を迎えるけど、行楽地の駐車場でシルバーのフィットや、グレーのヴィッツを見ることが多い。よく見ると、東京ナンバーのレンタカーだ。都心部若年層はクルマを持たなくなっているんだな、と実感する。

「クルマ離れ」というが、今世紀に入ってからも乗用車の保有台数は微増を続けていて日本全体はクルマ社会化が相当進行した。ただ若者文化の主役でないことは確かだと思う。

一方で、僕が大学生だった80年代はクルマ全盛だった。まあ、いろんな理屈は考えられるんだけど、最近ふと思ったのは「国鉄」の存在だ。

1987年に民営化されて今のJRになった日本国有鉄道は、さまざまな問題を抱えていた。新幹線こそ世界最高水準だったが、乗客は減少傾向。赤字路線も多く、なによりサービスがいいという印象がない。駅の施設も古く、ストライキも多くてイメージも相当悪かった。

つまり、当時の若い人にとって「鉄道で移動する」というのは、あまり積極的にしたいものではなかったと思う。特に男女で遊びに行くときは、クルマを選択しようとしてた。

僕は子どもの頃から鉄道好きだったのだが、大学に入るとやたらに周囲の先輩がクルマに詳しく、何となく「そんなものかな~」と思っていた。

大学4年の頃に新幹線に100系車両が投入されたので、1人で京都まで旅をしたら友人に相当珍しがられた記憶がある。
クルマ離れは維持コストの問題も大きいかもしれないが、携帯やスマートフォンが普及すると、鉄道の方がそうした端末と相性がいいことも理由だと思う。少なくても運転していれば、視覚は縛られるし。

ちなみに、流行った歌の歌詞を思い出すと、70年代は鉄道が「遠くへの別れ」の象徴だった。「汽車を待つ君の横で僕は 時計を気にしてる」(なごり雪)。「明日の今頃は、君は汽車の中」(心の旅)など。そして、1980年頃には「スタンプには小さなロシア語の文字」(さらばシベリア鉄道)と、遥か彼方に飛んでしまうが、もはや鉄道は象徴的な記号になっている。

松田聖子は「ワイパーもすねるほど雨」(雨のリゾート)という感じで、クルマのイメージだ。松任谷由実も「中央フリーウェイ」に代表されるようにクルマ文化の担い手だったけれど、松田聖子に歌詞を提供した「赤いスイートピー」では、「春色の汽車に乗って」というフレーズがあるが、そこにリアリティはない。どこか非現実の夢の世界だ。

80年代の若い男女が最も喜んだ鉄道は、東京ディズニーランドの「ウェスタンリバー鉄道」くらいだったんじゃないかと。

考えてみれば民営化2年目のJRが「クリスマス・エクスプレス」のCMで反撃の狼煙を挙げた1988年、クルマの広告は日産セフィーロが「お元気ですか~」とやっていた。いま思うと、いかにも油断してる感じだ。

歌詞やCMだけではなくて、ドラマや映画の中に出てくる乗り物の研究をしてみたら、結構面白いかもしれないな。