2015年11月アーカイブ

フジテレビの亀山社長が、記者会見で今の不調を語る中で東日本大震災に言及したらしい。
「日本の意識がいろんな意味で変わってきたのが(東日本大震災の)“3月11日”じゃないかなと。今までの我々がずっと押し出してきたわくわく感、ドキドキ感や、少し浮世離れしたお祭り感というのが、どこかで絵空事に見えてしまうようになったのではないかと」

そうした中で、日本人の意識の変化をくみ取ることができなかった、という反省らしい。

しかし。

言い訳や分析はいろいろあるけど、これは相当に苦しいと思う。経営者の弁明は仕方ないけど、久々に筋が悪いと思った。

震災の直後はともかく、その後にみんなが求めたものは「わくわく」や「ドキドキ」ではなかったのか。NHKの「あまちゃん」は、あえて被災地を舞台にしながら「浮世離れしたお祭り感」を描いて話題になった。

まったく、ズレていると思う。

それに、あの震災で被災しながらも言い訳をしないで努力している人はたくさいるだろうに、4年も経ってから「やっぱ震災が」と東京の経営者が言っていること自体が、すごく変な感じもする。別にフジテレビに多くを期待するわけではないけれど、なにも経営者が先頭に立って「ダメな感じ」を振り撒くこともなかろうに。 >> フジテレビがダメなのは、もちろん震災のせいではないわけで。の続きを読む



(2015年11月29日)

カテゴリ:遊んでみた
タグ:

一か月ほど前だが、467クルマで一人旅をした。妻が義父母を連れて小旅行に行ったので、そこから戻るタイミングで愛知の方へ行こうと思ったのだが、折角だから寄り道をしようかと。

東京から名古屋に行くのは、普通なら東名高速だが、寄り道をするなら断然中央高速沿いの方が面白い。南信で1人で泊まれる宿を探して、木曽福島辺りと迷ったのだが「大鹿村」を目指すことにした。諏訪で高速を降りて、あとは152号線をひたすら下る。

途中で高遠という町を抜けるのだが、ここは蕎麦が有名のようなので、だいたい行程は決まった。出発は10月の最終金曜日。天候はまずまずだ。

9時過ぎに、1人で中央高速を下っていく。相模湖から談合坂の坂を登り笹子をくぐって長い下り坂。勝沼を過ぎた頃から道も空いて来て、順調に諏訪で降りる。

間もなく一つ目の峠で、「杖突峠」というわかりやすい名前。眼下に諏訪を一望する展望台で休み、一気に高遠へ。下調べはしたのだが、蕎麦屋の看板が見えてちょっと気になったので衝動的に飛び込む。

高遠の蕎麦は、普通のつゆもあるが、味噌だれが名物。すり鉢に味噌を溶くようにつゆを混ぜていく。混ぜることを前提にしてバランスをとっているので、決してくどくはない。折角だからと、もう一軒はしごしてもり蕎麦を食べた。信州の蕎麦はこの10年くらいでつゆがキリッと洗練されていると思うけれ462ど、高遠の蕎麦は相当にうまい店が揃っているようだ。 >> 信州大鹿村への一人旅。の続きを読む



落語の小咄。与太郎に、こんな風に行って、ちょっとその場を離れた。

「ちょっと、俺のこの荷物見ておいてくれ」

で、帰ってみると荷物がない。

「ちゃんと、見てたのか?」

「うん。知らないオジサンが持ってた。ちゃんと見てたよ」

と、ここまでひどくはないけれど、会社勤めの中には「自分の仕事を限定したがる人」が多い。これは単に「余計なことをしたくない」ということもあるかもしれないが、「余計なことをすると叱られる」という面もある。

一方で、うまくいっている会社の話を聞くと、この辺りが違う。単に自分の仕事をやっているのではなく、最後まで「やり切る」人が多い。

製品の開発者がマーケティングなどの売り方まで考えていく。あるいは、営業が開発に提言して、最後まで伴走する。バイヤーが販促まで見通している。

ところが、往々にしてこれは領空侵犯となる。だからうまくいってる場合は、トップかそれに準じる人が、思い切ってキーマンに裁量権を与えて「やり切らせる」ことが多い。そうした企業では、オーナー経営だったり、そうでなくてもトップダウンが強いようだ。

対照的だが、やたらと「アサインメント(assignment)」という言葉を連発していたとある大手企業の部長がいた。「割り当て」ということだけど、何かにつけて、「それは君たちのアサインメントか?」と言う。つまり、っ込んだ提案に対して、やたらと警戒するのだ。 >> 「やる」と「やり切る」の違い。の続きを読む



最近はあまり聞かないな、と思っていた言葉に「生きにくい」とか「生きづらい」というのがあったけど、少し前にとある女優のインタビューで見た。

上野樹里なんだけど、「日本は生きづらい」という見出しで読んでみると、別に日本社会の問題を指摘してるわけではない。自分が有名になり過ぎていろいろ神経を使ったというだけの話だった。彼女は海外で映画出演しているので、そのように思ったんだろう。

で、これが一部でいろいろ言われているそうだけど、まあそのことじゃなくて、この「生きにくい」「生きづらい」ってどうして言われるようになったんだろうか。

感覚的には、いわゆる「格差」が広まったといわれるここ10年くらいではないかと思う。ただし、こればかりは個人差もある。性格や環境も影響するので、「2000年代初頭の日本」の問題なのか、あるいはそもそも人が生きていく上で付きまとうことなのか?ということが気になるのだ。

とりあえず、ここ最近の日本で起きていることだとすればなせだろうか?たとえば若年層が未来に希望が見出しにくいとか言うこともあるだろう。また、何か言葉を発するとすぐに叩かれて「空気読め」と言われるような「一億総姑社会」のようなことも背景にあるかもしれない。

一方で、自分自身を考えると「生きるのは大変だ」と思ったことはあっても、それは自分の問題だから自分でどうしようか?と考えてきた。生きづらい「社会」がそこにあるのではない。うまく生きていけない自分がいる、という認識だった。 >> 「生きにくい」とか「生きづらい」とかを疑う。の続きを読む



紀里谷和明氏のインタビューが気になった。

公開された映画「ラスト・ナイツ」のプロモーションということもあってか、メディア露出が増えているが、このインタビューで語っている「働くこと」への思いには、強いインパクトを感じる。

SNSでもシェアしている人が目立ったけど、なんかハッとさせられたような気になった人も多かったのだろう。

紀里谷氏の仕事についてのスタンスは、ある意味「モーレツ」だ。たとえばこんな感じ(『』内は先の記事より引用。以下同)

『 “失われた20年”なんて言うけど、単純に人が仕事しなくなっちゃったんだと思う。特に若い人たちは、熱をもって突っ込んでいかないし、熱を もって泥まみれになりながらでも血ヘド吐きながらでも何かをするっていう姿勢がないと思う。』

まあ、これだけだと「今の若い者」論に見えるんだけど、彼の真骨頂はこの後にある。

『いま、誰かのせい、社会のせいって、何かしら外的要因のせいにしてる人が多すぎる。それで遂には、(中略)一生懸命がんばってる人を笑い、攻撃するヤツまで出てきた。』
と社会全体の空気について語った後、その矛先はネット空間にも向いていく。
『そう。なんにもせずに人のせい・社会のせいにするようなヤツらが、ウイルスのような毒素をばらまきまくってるわけです。炎上させたり、“リア充”って言葉で人を笑ったり。で、それに対して今度は“がんばってる人たち”側が気を遣ってしまってますよ。』

この状態を、紀里谷氏は「内戦」と表現していた。

僕の労働観は紀里谷氏のそれよりは相当緩いと思うので、「そうだ!」というほど同調はできないのだけれど、ここに引用した辺りの感覚はよくわかる。日本人の社員のやる気が世界でも最低というのはこちらの調査にもある。

これは能力というより動機づけ(モチベーション)の問題だろう。

紀里谷氏のインタビューを読んで思うのは、彼の「切迫性」の強さだ。これはキャリア論の世界では、重要な動機づけの1つだが、わかりやすくいえば「前のめり」だ。

この切迫性は、ある種の強烈な作品を残す芸術家にも感じることができる。太宰治の小説、ゴッホやムンク、あるいはベートーヴェンの音楽など、「どうしちゃったんだ」というくらい前のめりな時がある。ゲーテの「ウェルテル」もそうかな。

切迫性の強い人は前のめりに働くし、そうでないとかえって不安になる。ただし世の中には、そうでない人もいて、彼らにとって切迫性の強い人はつき合いにくい。上司がそうだったりすると、結構追い込まれてしまうパターンもある。

ベートーヴェンの「運命」は彼の切迫性が前面に出た代表的な曲だと思うが、ちょっと昼休みに聴こうという気にはならない。切迫性の強い人から発せられるパワーは、時と相手を選ぶのだ。

一方で優れたリーダーの多くは切迫性が強く前のめりだ。そういう人を「苦手」というのは人それぞれだが、遠巻きにしながらバカにするというのが紀里谷氏のいうウィルスの正体だろう。
そしてさらに問題なのは、遠巻きにして『人のせい・社会のせい』にしている人が自分は被害者であるかのように語り、それを「弱者」のように取り上げる空気がまたどこかに存在していることなのではないか。

紀里谷氏の言葉は荒っぽいところもあるが、だからこそハッとさせられることも多い。久しぶりに、鋭い刃を突き付けられたような感じがした。