理屈抜きの笑い、桃月庵白酒。~第47回「白酒ひとり」
(2015年12月12日)

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第47回 白酒ひとり

2015年 12月9日 国立演芸場

「金明竹」 桃月庵はまぐり

「親子酒」「火焔太鼓」(中入り)「富久」 桃月庵白酒

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「白酒ひとり」という独演会に通うようになって、5年あまり経つ。説教臭くなく、理屈抜きに楽しめてレパートリーも広い。東京の落語家の中では最もよく聞いていると思う。

この会は、ちょっと珍しい話のネタおろしも多いのだが、今夜は名作を三席。

「親子酒」は、終盤の親子の酔いっぷりが相当派手。白酒は心持ち赤ら顔なので、本当に酔っているように見える。

「火焔太鼓」は幾度となく聞いたが、テンポがよく、独特のくすぐりもある。

道具屋と、侍のやり取りで

「いくらなら、手放す?」

「イクラ、なめろう、手羽先?」とか、その後「売ると申すか?」尋ねられ

「売る~売る~るぅ~るぅ~るぅ~」

「キタキツネを呼ぶな!」

という辺りは、毎度の会話なんだけど、これ結構意表を突かれるのか毎回受ける。そういえば「花見の仇討」でも、「親の仇!」が覚えられずに

「マヤの遺跡!」とか「山のマタギ!」とかいうくすぐりを、やっている。

「富久」もテンポがよく、幇間の情けなさと旦那の鷹揚なコントラストが鮮やかでカラッとした仕上がり。年末になると高座では「文七元結」や「芝浜」などがかかることも多く、慌ただしい年の瀬に粘度の高い噺というのは、僕としては苦手なんだけど、この「富久」を聞くといい年越しができそうな気がする。

「掛取り」もそうだけど、師走のネタは金に絡む噺が多いので、それをどうこなすかが腕の見せ所なんだろう。

白酒は、独自のくすぐりなどもあってやりたい放題に見えるが、噺の骨格のつかみ方はしっかりしている。この翌日、志ん朝の「火焔太鼓」をディスクで見直したのだが、大きな流れは古今亭の芸風であることがよくわかる。

白酒はいい意味で、外の声を聞かないんだと思う。結構達者な噺家でも、いろいろと気にしている人はいて、まくらなどを聞いていると新作に取り組む人はそういう傾向が強そうだ。

ただ、今の落語界はご意見番みたいな批評家もいないし、いるのかもしれないけれども、影響力は低い。かつては、批評家に嫌われて悩んだ噺家もいたようだが、いまは客が「好きな人を聞く」という空気になっている。

それをつかんだ噺家は、自分の流儀で高座を楽しんでいる。その典型が白酒なんだろうな。僕は落語では、笑いたい。当たり前のようでいて、その一点に自信が持てない人もいる中で白酒は楽しいのだ。