歌舞伎・能・能、和風の週末。
(2015年12月14日)

カテゴリ:見聞きした

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図らずも3日続けての観劇三昧。しかも、和風の日々だった。

11日は国立劇場で「東海道四谷怪談」。幸四郎と染五郎を中心にエンタテインメントをたっぷりと楽しませてくれる。怪談をこの時期に?という感じもあるだろうが、四谷怪談は忠臣蔵ドラマの「スピンオフ」のような面もある。討ち入りに参加する義士ではなく、浪人生活の中でアウトローに堕ちていったものの、ドロドロとした人間の業を描いている。

今回の演出は、最後に討ち入りを配して師走にふさわしい舞台だった。

いわゆる「お岩さん」の話で、子どもの頃から顔が腫れるのを「お岩さんみたい」とか言っているのを耳にしてきたわけだが、きちんと見るのは今回が初めて。

歌舞伎はたまにしか見ないのだけど、こういう名作は掛け値なしにおもしろい。

12日は国立能楽堂の普及公演。能は「殺生石」で、狂言は「鶏聟」。13日は同じく国立能楽堂で、金春流円満井会の特別公演で「道成寺」を中心とした演目で、この公演は1人で行った。

考えてみると9日に落語の「白酒ひとり」も聞いているので、一週間に4回、しかも全部国立の施設だった。まあ、税の回収方法としてはありかもしれない。歌舞伎も能も主催公演は価格も手ごろなのだ。新国立劇場も含めてどこもゆとりがある設計だし、国立劇場の駐車場は都心なのに一回500円と鷹揚だ。

能は今秋からいきなり憑りつかれたように通い始めている。文にして評するほど、何もわかっていないのだが、それでも回を重ねると段々といろんなことに気づく。

たとえば、演者の声は人によって相当異なる。大鼓と小鼓も、やはり達者な人は緊張感が違うし、一方で明らかにずれることもある。また、笛も、響きの豊かさが人によって異なる。

音楽はよく聞くので、どうしても耳から入っているのだろう。舞については、よくわかっていないのだが、日曜に見た「道成寺」はいろいろな意味で驚いた。能の演目の中でも知名度は高いが構成は破格で、宙づりの鐘が落ちるところに飛び込む「鐘入り」が有名だが、その前の乱拍子の緊迫感も含めて奇想も感じられる傑作だ。

と、「ああこれは“傑作”だな」ということが感じられるくらいには、何となくわかってきた気もする。

どうして、この歳になって能に関心を持ち始めたのは自分で分析してもよくわからないのだが、どうも「自分より年取った人に愛好者が多い」ものが気になるのか。

高校生の頃にクラシックのコンサートに行けばもっとも若い方で、20代の頃に落語に行き始めた頃もそうで、いま能に行っても同じように「一番若い方の1割」くらいという感じだ。国立能楽堂の主催公演は若い女性もチラホラ見かけるが、それ以外は驚くほど年齢が高い。

というわけで、3日で10時間以上舞台を見ていた怒涛の伝統芸能週間だったが、毎年忘年会の予定は殆どなく今年はゼロなのでこういうことも可能なのだ。今年は、落語・音楽・能がそれぞれあと一回で年をおえる予定である。