2016年、高齢化と恒例化をどうにかしたい。
(2016年1月1日)

カテゴリ:世の中いろいろ

あけましておめでとうmonkeyございます。御慶!という落語を一昨日に聞いたので、早々の正月気分だったけれど、まあ東京だと穏やか過ぎるくらいの陽気の年末年始だった。
この写真のサルは、多摩動物公園で11月に撮って賀状に使ったのだけれど、この頃の方が寒そうにさえ見える。

日本には、いろんな慣習があって、流行り廃りもあるけれど正月は変わらない方なのだろうか。ただ、「昔は飲食店はまったくやってなくて、江の島の喫茶店が正月料金だった」と言ったりすると、まあ齢がわかるというものだ。

初詣の風景は相変わらずだが、凧揚げはめっきり見なくなったし、羽子板や独楽回しなどはどうなったんだろう。

いずれにしても、「恒例」というのはありがたいところもあって、「また新年を迎えられた」というのは、たしかにめでたい。

ところが、仕事などを含めて「恒例ばっかり」になるのも問題かなと思うようになった。

齢を重ねると、時間が早く経つように感じられる。いろんな理由があるようだが、ある時に気がついた。

初めて行った旅先の記憶は、結構奥深くに入るのだ。

正月などの恒例行事だと「もう1年か」となる。仕事でもそう。同じ場所で、恒例の合宿などやっていても「もう1年か」という感じだ。

ところが、初めて行った旅の記憶を紐解くと「まだ1年か」という感じになる。いろいろ調べると「新しい発見」が少なくなると、記憶が「同じフォルダ」に入れられて、場合によっては「上書き」されるのではないかと。

旅が典型的だが、仕事においても新しい取り組みをしていると、時間の密度が濃くなるように感じている。

ところが、会社員だと40歳を過ぎた頃から「定例の会議」のような仕事が増えてくる。あっという間に数か月先の予定が入るようになって、夜もいろいろと忙しい。「スケジュール管理」というが、「スケジュールに管理される状態」になってしまうのだ。

これはフリーでも同じことで、恒例の仕事はありがたいものの、油断をしているとアッという間に時間は過ぎていく。

というわけで、「高齢化と恒例化」というのは結構関連があると思うわけで、自分としての今年の目標は結構ハッキリしている。

つまり、異空間の時間を増やして、いろんな人とあって、新しいことをやる。

今年もよろしくお願いします。