米国の学部格差~文系も「エンジニア」になるべきなのか?
(2016年2月5日)

カテゴリ:キャリアのことも

少し前のウォール・ストリート・ジャーナルが、米国の若い大卒者の収入が急増という記事を出していた。ニューヨーク地区連銀のレポートである。

景気後退時は「大学を卒業してもコーヒーショップで働くしかない」と記事にあるように、そのイメージが変化して、学位を持たない労働者との格差が拡大したということだ。

この記事で興味深いのは専攻分野別の収入に関する記事だ。上位10位のうち8つは技術系で、化学エンジニアが年収7万ドル(中央値)でトップだという。

エンジニア優位だというのは検討がつくが、その逆はどうか。記事で「収入が少ない専攻分野の一部は失業率も最も高かった」ということで、挙げられているのが人類学、マスメディア、環境研究の3分野だ。

元のデータを見ても、この3つは失業率も高いし、収入も30,000ドルくらいだ。人類学の働き口は少なそうだし、環境研究はまだこれからの分野なのだろうが、マスメディア専攻というのは時代から逸れているのだろうか。これは「マスメディア従事者」ではなく、「マスメディア専攻」の収入とは言え、なんだか象徴的だ。一方でジャーナリズム専攻の失業率は低いので、この辺りは実際にどんな職種についているかまで見ていかないと何とも言えない。

(出典のデータはこちらのページ

これを見て思ったのだが、これからは日本でも「何を学ぶか」が本当に大切になってくると思う。

出身大学別の年収、のような記事はたまに目にするけれども、これからは専攻別という切り口の方が重要だと思う。18歳人口が減少していく一方で、大学定員はむしろ広がっていくのだから、大学名自体が個人への保証能力を持たなくなっている。

というか既に分かっている企業では、大学名に頼った採用をしていないだろう。

それにしても、このデータで恵まれた状況にある職種はことごとくengineeringとなっている。この傾向は日本でも強くなっていくだろうし、既にエンジニアの争奪戦は大変なことになっている。

それだけだと、もう文系は厳しいように思うかもしれないが、それは発想を変えるしかない。文系でも何らかのエンジニアになるということだ。それは、「収入がいい」からではない。自ら変わって求められる仕事に応えなければ、仕事自体がなくなるかもしれないのだ。

そうなると、一つの職種で徹底的に腕を磨くしかない。ゼネラリストという名で「自社のエキスパート」みたいな管理職になっては遅いのだ。その上で、自社や業界の先端技術について相当学ぶ必要がある。

これから最も気を付けたほうがいい職種は「業績のいい営業」だと思う。業界を問わずにいえるのだが、数字がいい時の営業はあまり勉強しない。もともと文系が多く、学生時代の勉強時間が少ない上に、難しいことはスタッフ任せにする。

別に文系出身でも、入社してから逆風環境にいた人のほうが危機感を持って、自分なりに勉強して道を拓くケースも多い。

「自分はエンジニアか?」と自問する時代になってきたのかもしれない。