文系に未来はあるのだろうか。
(2016年2月15日)

カテゴリ:キャリアのことも

先日「文系もエンジニアになるべきなのか?」という記事を書いた。米国ではいわゆる技術職とそれ以外の給与の差が開いているということだ。

僕は就活の相談を受けることは多いが、一方で大学選びの話を聞くことも増えてきた。つまり就職という点からの示唆を聞かれるわけだが、これが結構困る。というのも、この相談の大概が文系学部なんだけど、そもそも文系って将来どうなるのか?ということになると相当悩ましいと思うからだ。

何らかの専門性を持つこと、つまり「エンジニア」発想でいかなければいけない、というのは理解してもらえるけれども、ではどこの学部がいいのか?というのが悩ましい。

そもそも、文系学部の専攻内容は就活に直結しない。それでも文系学生が採用されていたのはなぜか?

それは、企業が能力開発の面倒を見てきたからだ。メーカーであれば、製品の成り立ちなどについて知るし、金融であれば関連する法などについても学ぶ。その際には、一定の理解力と努力する習慣を持っていることが望ましい。そうした能力は大学受験の時に求められるものと類似しているので、結局は大学名が一定の影響力を持つ。

ところが、これからのビジネスでは、そういった能力が重視されるのか?というと相当に怪しい。

たとえば金融ビジネスでも、求められるのはテクノロジーの知識と開発力だ。またメーカーの競争力もひとえに研究開発にかかっている。

じゃあ、営業を始めとする文系社員は、なぜ必要だったのか?それは、一定のルールを理解して、その通りに頑張ればどうにかなるという時代だったからだ。市場が伸びていれば、そこにアプローチしていく人が必要になる。国内が頭打ちになっても、グローバル市場で競争することで日本企業もどうにか残ってきた。

しかし、ここに来て様子が変わってきた。世界のどこへ行っても供給側のプレイヤーは飽和している。収益性を重視する企業が、これからより多くの社員を雇って拡大を図るとは思えない。そして代替できる仕事はどんどん自動化されていく。

そのような中での学部選びはたしかに難しくなっている。ビジネス感覚を磨くならば経営学がいいだろうしMBAは市民権を得たが、大学選択でそういう志向ばかりとは限らない。一方で法律学科など根強い人気があるようだが、もともとが相当の国内志向だ。僕は政治学科だったが、たまたま選挙理論と分析予測をしていたので統計学をある程度学んだ。その後は、それが一番役に立ったが、普通の政治学だったら特に仕事とは関係なかっただろう。

もちろん学際的な学部も増加しているが、採用側が学びの内容を理解しているとは限らない。

そうやって考えると、総合職を採用する側も本当にその意味を突き詰めていないのかもしれない。いまは人手不足なので今年も売り手優位かもしれないが、ある日突然「もう文系は少しでいいです」みたいになって、エンジニア争奪がさらに激化するというのはあり得るシナリオではないだろうか。
文系学部は横断的な学びとして、論理思考とコミュニケーションの体得をおこなう。さらにグローバルで働く上で求められる教養としての宗教社会学や文化人類学などを会得する。または最新テクロノジーへの理解を深めるといった動きを強化する時期に来ているだろう。それはG型・L型などの類型を問わずに求めらていると思うし、学校がすぐに動かないなら自ら学ぶしかない。