スマホ動画で「目と耳とデカップリング」が進む。
(2016年4月22日)

カテゴリ:メディアとか
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新しい潮流が生まれようとする「○○元年」という言葉が飛び交うが、この「元年」は結構曲者で少なくても一般的な暦の「1年間」を意味するとは限らないことはもう誰もが知っているかもしれない。

まあ、電子書籍についてはkindleのサービス開始が元年だったと思うが、ネットの「動画」については今年が元年となる可能性が高いように思う。

個人的には、視聴覚が1つの情報元に縛られるのは嫌いなので、ネットで見るのは30秒以内、長くて1分の猫動画くらいだ。自宅のテレビで映画などを見ることも少ない。

で、最近思ったんだけど、聴覚と視覚が分離しながら情報を認識している機会が増えているような気がするのだ。

家の外ではipd miniを使っているが音声は消していて、イヤホンやヘッドホンは結構前からなぜか耳が受け付けないので使っていない。すべて無音だ。車内広告の動画も無音なので、殆ど視覚情報だけになる。

スマートフォンを使っている人をみても、イヤホンを常時付けている人ばかりではない、というかつけてない人の方が多いように感じる。この調査によれば「持ち歩いてる」人と、そうでない人が半々だ。しかも10代では7割以上だが、20代から急減する。

つまり「無音の動画世界」に接している人が増えるし、「好きな音楽聞きながらネットを見る」かもしれない。いずれにせよ、視覚と聴覚は連動しない。

では、自宅ではどうか。

近年のメディア接触調査などを見ていると「テレビつけながらスマホ」というパターンが相当多くなっている。テレビを「見ながら」ではない。テレビを「つけながら」ということなので、聴覚はテレビで、視覚はスマホだ。

だからテレビCM、特にあわただしい朝などは音によるアテンションが必要じゃないか?というような議論になるのである。

つまり、家の外でも中でも「音と映像がシンクロする」状況で過ごすことが減って行くと思うのだ。

3Dだとか5.1chだとか、オーディオ&ヴィジュアルというのは視聴覚の連動を目指して高度化してきたのだけれど、今起きていることは「目は目、耳は耳」という非連動である。

日本語でいえば「分離」ということかもしれないが、デカップリング(=Decouping)というニュアンスの方がよりイメージに近い。

数インチの小さな画面の無音動画を見ながら、耳からはまったく関係ない音が飛び込んでくる自宅の一室。それは、かつて想定された未来とはちょっと違う。無声映画を見ながら、関係ないラジオを聞いているようなものだ。
この「目と耳のデカップリング」が進むと、表面的な情報量は増大していくが、情報への理解度は低下するだろう。まして態度変容を伴う広告効果がどうなるのか?といろいろ気になるのである。