厚切りジェイソンの言ってることとかは、話半分に聞いたほうがいいと思うわけで。
(2016年5月23日)

カテゴリ:キャリアのことも
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ちょっと前の記事で、厚切りジェイソンの講演がこちらに載っていた。

『厚切りジェイソン「空気を読むな、自分で考えろ」SLUSH ASIAで日本人の悪習をぶった切る』

どこか既視感のあるタイトルなので、どことなく見当はつく。そうですか、日本人は協調性重視で、個性を伸ばせない。そういう話だ。

後半の、本人の挑戦譚は面白いと思うけど、前段の日本人論は話半分に聞いたほうがいいんだろう。まあ、これは彼に限ったことではない。そういうと、よろこぶ日本人がいるからそういう話になるんだと思う。

しかし、日本人が極度に協調的で没個性的かというとそうとは限らない。そういう話は、大概日米の比較から来ている。彼のようにバイタリティが溢れる人間から見れば、そう見えるだろうが、世界にはいろんな国がある。

もちろん、日本の義務教育は画一性を求めるし、サービスが杓子定規になることもある。ただ、ファーストフードの統一マニュアルは元々米国生まれだし、日本だって融通の利く店はいくらでもある。

本当に米国人は自分のアタマで考えているのなら、相当の差別主義発言を繰り返すドナルド・トランプを大統領候補に選んだ人々の熱狂はどう説明するんだろう?

などと、難しい理屈を出してジェイソンを批判するのも野暮だろう。彼の語る日本人論を喜ぶ日本人がいるから、彼は語っているだけだ。それは芸人としては実に正しい。

だから、本当の課題は、こういう話を喜ぶ一部の日本人にあるんじゃないかと。

「日本の社会や教育がダメ」なら、自分で行動すればいいだけだ。本質的に日本は自由だ。ところが結構グチが先だつ。

「やっぱ日本だとダメなんだ」

そういうような人には見事に共通点があって、自分で挑戦していない。それは「今の会社がダメなんだ」と言ってる人とも似ている。たいがい転職してもダメだ。いつまでも人のせいにしているから。

「ダメな会社でやるだけのことをやった人」だけが、次のステージでも成果をあげる。「日本は息苦しい」というのはいいけれど、その息苦しい中で本当にもがいてみようとしている人は、国や社会のせいにしない。

「日本人はここが変」

それは一定の需要があるから成立する。かくして日本語の話せる外国人が「耳に痛いこと」をいえば、それなりに文化人になることもできる。それはメディアの性だから、言ったところで仕方ないだろう。

しかし、こんな日本人論に納得して溜飲を下げてるようなら、ちょっと気を付けた方がいい。それは一時的な慰めだ。本当に頑張っている人は、そんなことに関わらずにはるか先を走っているはずだと思う。