2016年06月アーカイブ

学生などと就職について相談を受けている時に気づいたのだが、将来のキャリアを考える時には2つの発想があるようだ。

1つは「○○になりたい」という発想だ。全体としては、こちらの方が多数派だ。日本の就職は、特定の会社の「社員になること」、いわゆる「就社」が中心だ。だから「商社の社員になりたい」「トヨタに就職したい」と発想するのだろう。

もう1つは「○○をしたい」という発想だ。「人を動かすクリエイティブな仕事をしたい」とか、「人の役に立って感謝を実感したい」とか、そんな言い方をする。こうした発想の方が、キャリアや生き方の本質にかかわるように思うのだが、いわゆる「着地」が難しい。

たとえば「クリエイティブ」と言った時点で、そうとうモヤモヤしている。モヤモヤならいいが、クリエイターという存在自体をカン違いしていることもある。

だからロバート秋山の「クリエイターズ・ファイル」のようなモノが成立するわけだけど。

こういう時、学生にこんな言い方をすることがある。

「まあ、クリエイターでもコピーライターでも、自分で名刺刷って名乗るだけなら、誰にでもできるよ」

「何かをする」ためには、まず「何者か」としての足場を固めたほうがいいんじゃない?そうした問いかけだ。 >> 「何をするのか」あるいは「何になるのか」それが問題なわけで。の続きを読む