2016年10月アーカイブ
(2016年10月27日)

カテゴリ:食べてみた
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enshuまったく行ったことのない所へ一人で行く。なんか、それだけで僕にとっては最大の娯楽なんだけど、これは結構得な性格かもしれない。特に名所とかなくても、知らないところへ行くだけでいいのだ。

そして「何もない」と地元の人が言うようなところでも何かはある。というわけで、ちょっと前のことだが遠州、つまり静岡の森町へ行った。

別にここを目指したわけではない。妻が愛知の実家に帰省したので、一日遅れてクルマで追っかけた。昨年は同じような企てで、信州の高遠から大鹿村の温泉へ投宿した。

今年は、新東名経由で行くので、森へは途中下車だ。

静岡県の森町と聞いてもピンとこないかもしれないが、「森の石松」の出身地だ。あの森、というのは地名である。森の中にいる人、ではなくて、それじゃオランウータンだ。

静岡というと海のイメージだが、この辺りを走っていると甲州のような感じだ。山間にある小國神社は「遠州一宮」でもあり、しっとりとした厳かさがある。

朝が早かったのだが、近くの蕎麦屋が開いていたので入る。天おろしが名物のようで、蕎麦も「それに合わせている」という。 >> 遠州で蕎麦をはしごする。の続きを読む



91ykt5b3ahl先日、過労による自死の事件を受けて、こんな記事を書いた。その際に紹介した本が気になった方が多いようだったので改めて内容について書いておこうと思う。

『その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺稀少地域」を行く』(青土社)は、精神科医の森川すいめい氏によって書かれた本だ。スタイルとしてはある種のノンフィクションと言っていいだろう。

このタイトルで、まず気になるのが「自殺稀少地域」という言葉だ。そういうエリアがあるのか?と思う方も多いだろう。

自殺率については、都道府県による差があることは知られている。ただし「稀少地域」という視点は新鮮だ。これは、岡檀氏の「生き心地の良い町」(講談社)による研究で注目を浴びた。これは徳島県の旧海部町(現在は海陽町)というエリアの自殺率の低さに着目して、その特徴を他地域と比較研究した本だ。

この本は4年間の現地調査をもとにしており、アカデミックな世界でも評価された。一方で森川氏の本は、旧海部町の他にも幾つかの自殺稀少地域を歩いているが、体験をもとにしたエッセイ風の仕立てになっている。

こう書くと印象中心のように感じられるかもしれないが、岡氏の著作と併読することで、森川氏の観察眼の確かさが浮かび上がってくる。

そういう意味で、この2冊をセットで読むことで「自殺稀少」への手掛かりがより理解できると思う。 >> 「自殺稀少地域」の研究は、職場でもヒントになると思う。「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」の続きを読む



もう10月も終わろうとしていて、なんだか今年も先が見えてきた。それにしても、一年が早い。それは歳とったら誰でもそうなると言えはそれまでなんだけど、「秋の速さ」というのは、別の理由があるんじゃないか。

いや、これはまったくの暴論なんだけど、9月の連休がいけないような気がしている。

敬老の日が、第3月曜日になり、秋分の日は暦次第だ。場合によっては5連休になる。

夏休みが明けて「さあ、これから」という時に、何とも出鼻をくじかれる。結局9月中に終わるものがずれ込んだり、とりあえず半期決算には何とか突っ込むけど、曖昧なまま10月になって、気が付くとまた連休。

10月まで背中を押されて、バタバタと過ごすと11月だ。そうなると、頼みもしないのにクリスマスソングが流れてくる。

一方で、夏休みを自由にとっていい会社だと、9月に休む人も結構いる。そうなると研修や勉強会は10月くらいからになるけど、12月は慌ただしいし、1月は正月明けで、3月は決算前でとかいろいろとやりくりすることになる。

というか、日本の公的休日はもう多過ぎるんじゃないか。こちらのページを見ると、他の国に比べても多い。この数字は2013年のものだから、今年は「山の日」が加わってプラス1日だ。

その一方で、有給消化率は決して高くないし、結局政府の決めた連休に皆が出かけるので、そりゃ混雑することになる。 >> 「あっという間に今年も終わり」を、9月連休のせいにしてみる。の続きを読む



(2016年10月24日)

カテゴリ:見聞きした

816uyhvrwl-_sl1500_自然環境が作曲家に与えた影響は、もちろんあるんだろうなと思う。

シベリウスの音楽を聴いて、南国の空を連想するのは難しい。また、「泥臭いけど妙に明るい」と思ったら、「イタリア奇想曲」だったりする。

もっとも、「アルペン交響曲」のようにズバリと言われると、「はい、わかりました」という感じになって、夏の信州で聴いていても妙に納得してしまう。

ただ、作曲家の経験とまったく関係ないのだけれど、勝手に「こういう時に似合う」という音楽があって、僕の場合「ドヴォルザークと里山の秋」は最高の相性だと思う。

なんというか、ドヴォルザークの田舎っぽさというのは、西洋東洋を越えて普遍的なんじゃないだろうか。

チェコの田舎はもちろん、中国内陸の水墨画の世界に合いそうだし、ケンタッキーの草原でもいいんじゃないか。「交響曲」のようにフォーマルな曲にしても、「スーツにネクタイ」という風情ではない。「コーデュロイのジャケットにネルシャツ」という感じがする。 >> 秋で、芋煮で、ドボコンなのだ。の続きを読む



91rrcimpblインターネットの時代になって、いろんな人が専門家のようなことを言うようになった。ただし、どんな分野でもそうなるわけじゃなくて、いきなり「ステンレスの冶金」について語る人が増えたわけじゃない。そもそも、冶金を「ちきん」と読んでしまう人だっているだろう。

そんな中で「マーケティング」については、語る人が増えた。そして、その際にはいろんな数字が引用される。ところが、この数字というのが曲者だ。

この本は、そういう「マーケティングの谷間」に落ちている「生半可な常識」を鮮やかに斬っていく。

たとえば、典型的な「若者の○○離れ」なんかは、いい例だろう。ビールや海外旅行、クルマ、そして果物などの例を見ていくと、意外な背景が見えてくる。

「今の若者は」と下手に言うと、「そんなのギリシャ時代から」とか反論されちゃうので、一生懸命データを出して来たら、それがますます変だったというような話だ。

「保育園建設に反対してるのは誰か」などは、データで見ると納得するし、イメージが先行していることがわかる。また「飲酒やめると早死にするって本当?」というのは、典型的なサンプルの読み方違いの可能性がある。いわゆる「ドクターストップ」を受けている人が、相当いるかもしれない。 >> 半端なマーケティングもどきが一番やばい。「だから数字にダマされる」の続きを読む