2016年11月アーカイブ

石原慎太郎の都知事時代の功罪はいろいろあるだろうし、人によって評価も異なるのだろうが、「大江戸線」のネーミングにまつわる話は最大の「功」だと思う。

大江戸線がとてもいい!と思うわけではないが、最初の委員会答申では「東京環状線」で「愛称:ゆめもぐら」だった。石原氏は「環状していない」という理由で外させたというが、僕は「ゆめもぐら」が許せなかったんじゃないかと推測している。いや、やめてよかったよ。

先日、小池都知事が「東京ブランド戦略」を見直すと言い出して、まずは観光ボランティアの制服が槍玉にあげられた。舛添氏も美術に関心が高かったようだが、どうしてああいうデザインになったのか。慎太郎だったら却下したんじゃないかと思う。

この「東京ブランド」を巡る報道は、殆ど制服の話になっているが、そもそも「&TOKYO」というコンセプトもなかなか悩ましい。

一般的にブランディングにおいては、その対象になる価値を言葉で規定している。ただし、都市と言うのは一言で表現するのは難しく、大都市になればなるほど大変だと思う。なぜなら、多面性が強くなるわけで、地方ほど規定はしやすいだろう。

「杜の都・仙台」なら、まあ大体の人は納得する。

ところが、東京となるとどこを切り取るかが難しい。江戸から続く文化と、最先端のビジネス、あるいはサブカルチャーなどあまりにもごった煮で、それがまた魅力だ。こういう時にどうするか?というお手本としては、”I Love New York“を思い出す。

ニューヨークがどんな街かは何も言っていない。しかし、インパクトは強かった。

「&TOKYO」に決めるまでも、そうした議論があったんじゃないかと推測する。

だから、「東京の価値」を決めるのではなく、”&”に託した。託した、といえばいいようにも聞こえるが、ただ何となく「丸投げ」感もある。

かくして、sushiからmatsuriから、もう何でもありということになった。 >> 制服だけじゃない、「東京ブランド」のホントの課題。の続きを読む



ずっと読んでいなかったのだが、たまたま内田樹氏の最近のブログを読んで、感慨深いものがあった。「なぜ安倍政権は勝ち続けるのか?」と題したエントリーだ。

氏によると、現在の状況は「政権末期の徴候」であるのに高い支持率を保持しているのが、疑問のようである。

「日本人が愚鈍になった」という仮説はとりあず棄却されたようで、いろいろと考えていく中で、こうした結論を書かれている。

「日本の指導者を最終的に決めるのはアメリカである」

そして、「ホワイトハウスが『不適格』と判断すれば、政権には就けないし、就けても短命に終わる」と書かれている。氏によると、このことは海外の有識者も指摘しているが、日本のメディアは黙殺しているということだ。

さて。

僕はこのような考え方に対して、あまり「ピン」とこない。というのも、こうした言説自体は決して新しくないからだ。典型的なのは、田中角栄がロッキード事件で逮捕された時の「解釈」じゃないだろうか。

あれはもう40年も前の話だ。詳細は省くが、角栄は米国に嫌われて、「斬られた」という話は幾度となく聞いた。ただ、それは「酒場の与太話」のようなもので、最近も似たようことを話している年寄りの酔客を見た。

「あれは、全部アメリカの陰謀なんだ」という、その姿は酒場の彩りとしては、まあそれなりに味わい深い。

でも、それを大学教授を務め、知識人を自負されている方が書くのは、味わい深いというか、少々濃厚過ぎて、微かな哀しさも感じないではない。 >> 内田樹氏の知性的な生き方が、味わい深い。の続きを読む



会社員時代の最後の仕事は人材開発セクションで、一番大変だったのは新入社員の教育プログラムだった。2002年から3年間続けていたが、結果的には300人ほどとつき合って、今でも食事をしたりする。

このあたり、SNSのおかげでもあり、なんとなく近況もわかったりする。

先日は、2002年入社の何人かとあった。他の会社に転じたものもいて、それでも2/3ほどはまだ在籍しているという。

僕が最初に彼らに出会ったのは38歳だったが、皆その歳になり、場合によってはもう40歳だ。先日は、みんなそうだったので、つまり僕が会社を辞めた歳になっている。

そこで「40歳になった時はどうでしたか?」という質問をされた。

まあ、それから12年経った今から見ると、実は40歳でかつ独立というのは、相当目の前に平野が広がっている感じだった。「あと30年経ってもまだ70か」というイメージで、少なくてもそのくらいまでは、いろいろ楽しいんじゃないかとイメージしていた。

ところが、いまになると、「もう何年で60なのか」とまったく逆のカウントダウン発想になりやすく、自分のパーセプションをどうすればいいのか考える。

マーケティングの仕事では「消費者のパーセプションを変えるには」とか偉そうに言っていたのに、自分のことになるとなかなかうまくいかない。

その時に話しながら思ったのだけれど、1つには親の年齢の問題があるだろう。僕の同年代と話をしていると、既に親を送っている人が多い。そうでなくても、相当高齢になりいろいろと不安が多い。

つまり、「次は自分」という感覚になる。こればかりは、そういう立場になってみないとわかりにくいだろう。 >> 「人生の正午」が40歳なら、ぜひ素敵なアフタヌーン・ティーを。の続きを読む



11.15ステファン・シュトロイスニック ピアノ・リサイタル

2016年11月15日19:00 ヤマハホール

F.シューベルト/4つの即興曲 第2番 変イ長調 Op.142 D935
F.シューベルト/ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
R.シューマン/幻想小曲集 Op.12 より1.夕べに 2.飛翔 3.なぜに
F.リスト/ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178 R.21

(アンコール)

F.シューベルト:4つの即興曲集 Op.90 D899 第3番 変ト長調

 

今年になってからヤマハホールのピアノリサイタルは3回目だ。

3月のティベルギアン6月のガブリリュク、そして今回はシュトロイスニックと、共通点としては、とにかく名前が覚えにくい。

シュトロイスニックは、30を過ぎたばかりでこの世界では「若手」ということだろう。ヤマハホールは、謳い文句にあるようにピアノとホールが一体となった響きが魅力的だ。ただし、これは時に「音像が曖昧になる」という可能性もある。 >> 東京の「小ホール」って、充実してるなあ。の続きを読む



日本インタラクティブ広告協会(JIAA)が、「ネイティブ広告ハンドブック」を公開した(リンク先pdf)。全体としてはハンドブックではあるけれど、技術的な手引きにとどまらず広告の本質について、深く考察した上での構成になっている。

1章の“「ネイティブ広告」とは何か?なぜ注目されるのだろうか“という論考は、広告の本質を捉えていて、広告に携わる人や学ぶ人にとっても価値がある内容だ。

ネイティブの反対語が「エイリアン」であるとして、「広告が邪魔者・嫌われ者だったかもしれない」という議論は、いい広告を作る上で欠かせない。実は、そうした自覚があったからこそ、広告はビジネスとして発達してきたし、ときには社会全体に対してインパクトを与えるようになったのだろう。

そして人は、見るものを「これは広告だ」という了解のもとにその価値を判断する。

「何が書いてあるか」ということは、「誰が書いたのか」によってその影響力は違う。それは、日常的にもよくあることだ。

有名人の「名言」をありがたく思う人は多いけど、実は同じようなことを自分の親や学校の先生が言っていることもあるだろう。「話者」というのは、それだけでもたくさんの研究がある。

広告は、そうした前提のもとに、いわば「好かれるエイリアン」であろうとした。それが競争の大前提であり、ゲームのルールだ。今回のハンドブックは、その大切なところについて本質的な議論を提示している。

全体を通読すると、広告の未来に向けての新たな道筋が見えてくるだろう。
>> 広告の本質を突く、「ネイティブ広告ハンドブック2017」の続きを読む