文化の日と明治と憲法と。
(2016年11月4日)

カテゴリ:世の中いろいろ
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71m1zmezrl昨日は「文化の日」だった。国民の祝日の由来というのは、法で決まっている。昭和23年、つまり戦後3年ほど経ったときに定めていて、趣旨も書かれている。わかっているようだけど、意外なこともあって春分と秋分は両方とも彼岸だが、法的には主旨が異なるようだ。

内閣府のサイトによると、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」だからまあ彼岸なんだけど、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」らしい。う~む、そうだったのか。

そして、文化の日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」というわけで、相当に抽象的だ。

僕は、「憲法公布の日」だと思っていて、「半年で施行できるものなのか」と感じた記憶がある。昨日のメディアも憲法がらみの調査などを載せていた。

一方で、この日は明治天皇の誕生日でもある。明治においては天長節(天皇誕生日)で、のちには明治節だった。

憲法施行の日程を決めるのに、明治節を意識したのだろうか?ネットで調べる限りで、ある程度手掛かりになるのはウィキペディアの記述だ。

「文化の日は(明治節に関わる)上記の経緯と関係なく定められたということになっているが、当時の国会答弁や憲法制定スケジュールの変遷をみると、明治節に憲法公布の日をあわせたとも考えられる」と書かれていて、根拠として昭和23年の国会の議事録がリンクされている。

これは、先の法律を決める際の議論だが、あちらこちらから「この日を祝日に」と請願があったようだ。

これによると、ある議員は「発明祭」を設けてはどうかと言っていて、ただ「何月何日が適当か」とは述べてない。その後別の議員が署名運動を紹介するのだが、それが「明治節の存置」ということだ。ちなみに署名者には吉田茂もいる。

つまり、「明治節は残したい」という意識がどこかに働いていて、「文化の日」をそこに着地させたと推測できる。

ただ、これは施行から2年経った1948年の議論だ。そもそも、なぜ11月3日になり、明治節との重なりはどのようにとらえられたのか?それについては、国会図書館のこちらのサイトに書かれている。

この辺りについて調べると、山本有三が登場して来たりいろいろな動きがあるようで、調べていけば面白そうだが、ネットでは限界があって、それこそ図書館に籠らないとわからなそうだ。

ちなみに、占領時代のことはいろいろ書かれているものの、コンパクトにまとまり、かつニュートラルな本は意外と少ない。昨夏、戦後70年を機に出版された福永文夫氏の『日本占領史1945-1952 – 東京・ワシントン・沖縄 (中公新書)』は、あらためてこの時代を知り、その後の歴史を考える上でいい本だと思う。