謎のホルン会と、メディアの人面瘡について。
(2017年1月4日)

カテゴリ:メディアとか

昨年末の押し詰まった頃に、とある飲み会に出た。大学で所属していたサークルの現役と卒業生が集まったのだ。

毎年50人くらいは部員のいる団体で、この夜に集まったのは全部で50人程度。そう書くと、寂しいようだがそういうわけではない。これは、オーケストラの中のパートの会で、ホルンという楽器を吹いていた者ばかりが集まったのだ。

サッカーのサークルで「ゴールキーパー会」があったり、野球サークルで「遊撃手の集い」があるのか知らないが、まあそういう感じのものだ。最年長の方は還暦を超えていて、現役もいる。半世紀にちかい年齢差があって知らない人もたくさんいるのだが、すぐに盛り上がる。

「ザイフェルト」とか「クルスペ」とか「ティルツ」とか「新日本紀行」とか、謎の言葉が飛び交うビンゴもあって、まあ傍から見れば異様だっただろう。

それにしても、僕にとってはとても新鮮だった。何でだろう?と考えたのだけど、これほど世の中の俗事と無関係になることがずいぶん減っていたからだな、と思った。

人はそれぞれ、どんな世界にいるのか?勤め人であれば、平日は会社を中心に生活が回るだろう。もちろん家庭もあり、週末には趣味の集まりもあったりして、大概は複数の集団に帰属しながらバランスをとっている。

ただ、一方で何となく「メディアを通じて浸かっている自分なりの世界」というのがあって、SNSを日常的に使うようになってから、その影響が強くなったと思う。

僕の場合だと、マーケティングやメディアあるいはキャリアに関する仕事をしているので、SNSでもそれに関連した情報を発信する人が多く、やり取りもされる。だから昨年の後半は、電通やDeNAの事件に関することがことさらに増幅されてくる。米国大統領選をめぐる情報戦の話題も多い。

ネットというのは、個別にチューニングされたイコライザーのようなもので、特定のニュースや話題がどうしても分厚くなっていく。だから、「メディアのこれから」というのは、僕の日常ではとても大切な問題で、世間もそう感じているように思っていた。

しかし、実際は全然違うんだろうな。先の飲み会もそうだけど、年末年始に普段会わないような人に会って、東京を離れて休んでいると、日頃自分が知っているつもりの世界は、世界の断片でしかないように思う。

それにしても……メディアや広告関連の仕事の人って、「自分たちの仕事」について語ることがつくづく好きなんだなと思う。ただ、最近のメディアは、相当の量を「メディア自体」の情報に割いているよう感じるのだ。それはマスもネットも同じような傾向にある。

「紅白歌合戦」とかは、それをどう捉えるかがメディア界の祭りのようになっている。

そもそもメディアの仕事をしていると、自分が世の中の中心にいるような錯覚をしてしまいがちだ。ただし、それはいろいろなコトやモノの「間」にある中で起きているのだから、あながち錯覚とも言い切れない面もあった。

でも、最近のメディアはメディアのことばかりを語っていて、それはあたかもメディアの中にメディアがあって、その中に…というマトリョーシカ人形のようというのか、あるいはメディアの中にできてしまった人面瘡のように、何か皆がアッチコッチで勝手に騒ぎ出しているというか。

ふと思う。今年は、メディアで起きていることの中に浸からないようにしよう、と。マトリョーシカに飲みこまれちゃう気がする。

ちなみに、ホルンってアマゾンでも売っているんだ。結構値引いて、送料無料だったりするので興味あればぜひ。