草間彌生とミュシャに見る「大きさの絶対値」。
(2017年5月30日)

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考えてみると、「美術と音楽」というのは授業科目では対になっているようだけれど、普通に生活している時の存在は結構違う。

最近になってまた事情は違うかもしれないが、多くの人にとって音楽は日常的な愉しみで「好きなミュージシャン」と言えば、一人は挙げられるだろう。一方で「好きな美術家」をすぐ言えるかというと、それは人によると思う。

「ミュージックステーション」と「新日曜美術館」の違いとも言えるし、「カラオケ行こう」と言えば人は集まるけど、「じゃあ二次会で絵を描くか」という話は聞かない。まあ、そういう状況設定に無理があるのは承知なんだけど。

で、最近になってというか、もう10年くらい「アート」は賑やかだ。かつては、ミドルというかシニアの女性が印象派の展覧会に群がっていたイメージだったけれど、いまは年代も幅広い。

もしかしたら百貨店美術館がなくなって、展覧会としての企画をきちんと考えるようになったのかもしれないし、ネットでの広がりも影響しているんだろう。

というわけで、一年前は上野の若冲に大行列だったが、今年は草間彌生だ。チケット持って朝行ったからたいして待たなかったが、ショップは相当だった。それにしても、何で並んでチケット買うのかな。すぐ近くにコンビニあるのに。
草間彌生は、2012年の松本の展覧会に行っている、そして、相当遡ると木場の美術館でもやっていた。かつての作品は、人を寄せ付けないようなところがあって、この賑わいは何なんだろう?と思うんだけど、入れば納得する。

展覧会のタイトルになっている「わが永遠の魂」という連作がまず登場するのだが、たしかに圧倒される。個々の作品がどうか?という鑑賞ではなくひたすら空間に浸るという感覚だ。写真もOKなので、雰囲気としてテーマパーク。

浦安で、ネズミやクマと写真を撮っているのと変わらない。

ああこれは壁画なんだな、と思った。聖堂のようなものなんだから、客は巡礼に来る。この部屋から、グルリと展示室を回ってまたこの部屋に戻るのだけれど、たしかに立ち去りがたい。
今までの草間彌生の活動を知っている人からすれば、いろいろ言いたいことはあるだろうけれど、来ている人がどこか楽しそうで、こういう体験をできること自体が貴重だ。

おなじ国立新美術館ではミュシャの「スラブ叙事詩」を展示していて、こちらは3月に行ったけど、これもまたでかい。

行った人に聞くと、みんなまず大きさについて語る。絵はどうなのか?と突っ込むと、意外と話は続かない。その辺りは「スラブのダヴィッド」という風情なわけで、「とはいえ、やっぱポスターいいよね」という話になったりもする。

ネットの時代になって、どんなアートもとりあず「見ること」というか「確認すること」はできる。そして、それは掌の上のスマホのサイズに閉じ込められている。そういう圧縮された情報に慣れているからこそ「大きさの絶対値」は人を惹きつけるのかもしれない。