『一緒にいてもスマホ』というタイトルが気になったら、ぜひ。【書評】
(2017年5月31日)

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【読んだ本】シェリー・タークル著/日暮雅通(訳)『一緒にいてもスマホ SNSとFTF』(青土社)

新しい道具が普及するときは、抵抗にあうことが多い。

クルマも電車も忌み嫌われていたし、多くの電気製品だってそうだ。デジタル関連のデバイスも同様だけど、一定以上普及するとその道具を称賛する人もあまり見なくなる。

スマートフォンが出たときは、熱烈な興奮があったけれど、いまは当たり前の道具になった。

そして、どこかで「これでいいのか」と思っている人も多いのだろう。だから「スマホ中毒」「スマホ依存症」という言葉が出てくる。英語ではsmartphone addictionで、つまりこれは世界中で注目されているのだ。

だから、米国MITの研究者がこうした本を書くのも納得できる。彼女はもともとはネットの可能性を賛美していたが、考えを変えるようになった。それはTEDにおける彼女のビデオを見ればわかるのだが、この本はそこに至るまでの研究がまとめられている。

原題は「RECLAIMING CONVERSATION ~The Power of Talk in a Digital Age」で、邦題のFTFはFace to Faceだ。

つまり、徹底して「会話」の意味について書いた本であり、それが失われることの問題を掘り下げている。とりわけ、子どもの成長過程におけるスマートフォンの影響について多面的に論じている。

そして、それはすべての世代の人にとっての問題になるだろう。

本書では、ソローの「3つの椅子」になぞらえて、「孤独」「友情」「社交」に与える、スマートフォンなどデジタルデバイスの影響を論じていく。そして、「4つ目の椅子」として、機械との対話について考察する。

この辺りは、まさにいま最もホットなテーマではあるけれど、彼女の目は厳しい。高齢者にとって、ロボットこそが会話の相手になるという議論を、このように見る。

「何よりも私たちが得意とすることを――お互いに理解し合うこと、お互いを思いやることを――アウトソーシングしているように思えたのだ」
そして、「機会を人間扱いすること」が、「人間を機会扱いすること」と表裏の関係にあることを指摘する。

彼女の議論は実際の研究に基づいているものの、直感的な反論があることも想定できる。そもそも、会話は本当に重要なのか?会話が苦手な人にとって、デジタルデバイスは、とてもありがたい。「理解」や「思いやり」が本当に人の得意とすることなのか?

たしかに、デジタルの発達によって新たなクリエイティビティが生まれてきたし、ビジネスの機会も広がった。しかし、会話の消失によって「失われた何か」については、まだ未検証のままだ。

ただし、会話によって摩擦を伴うことも、ネット上では回避できる。端的な例が、予約のキャンセルだ。旅行や飲食店などでも、ネット予約になってからキャンセルが増加したという記事はよく見かける。

一方で、摩擦から生まれることにも価値があるのか。それとも、それは単なるコストなのか。それは、こうした本を読みながらそれぞれが一度考えることなのだろう。

ところで、依存症はまた「否認の病」とも言われる。だから「自分は違う」と思う人ほど、一読する意味はあるのかもしれない。