「モノを選ぶ」は無駄な時間?
(2017年6月16日)

カテゴリ:マーケティング

カーテンを買った。

寝室のカーテンなんだけど、10年近く前に今の家に引っ越して、その時に前の住まいで付けていたのをそのまま持ってきたら、「大体」サイズがあったのでそのままにしておいたのだ。

だがやや寸足らずで、しかも夏になると朝日がガンガン入ってくる。遮熱にして、サイズもキッチリしたのにしようとか言ってるうちに、10年近く経ってしまった。

で、やっと、買うことになった。近所のホームセンターで選んで、店の人にオーダーを確認したら1時間くらいかかった。この店には2週間くらい前に一度来た。その後で新宿に回り、ニトリとか百貨店とか行ったら、「見れば見れるほど決められない」ことがわかり、結局この店になった。

この店にしたのも、「ここで決めるしかない」という制約をかけて、決めたようなものだ。カーテンは服と違って、いちど買ったらしばらくは使い続ける。だから慎重になるのだが、所詮は10年ほったらかしで、大して関与が高いわけではない。

カーテン選びに、もうこれ以上時間はかけたくない。あえて狭い選択肢で「ここで選ぶぞ」と決めておいて、どうにかなった。それでも、移動時間やネットの下調べで5時間くらいをカーテン選びにかけている。

ううむ、なんかもったいない。それだけあったら、大阪まで往復できる。って、別に行きたいわけじゃないけど。本は2冊読めるかな。映画なら、2本。サッカー3試合分か。

つまり、「選ぶのに時間かけるのは面倒」という気分になっていることに改めて驚いた。仕事柄でもあるけど、店を見るのは好きだったのに、なんか違う。

買い物をサッサと済ませたい。そういう人が増えていて、店には来ない。そしてネットが伸びる。そんな話を思い出す。ただカーテンについては、ネットでも相当時間がかかっただろう。

つまり、「探索コスト」が邪魔になっている。そして、自分の時間を貴重だと思う人ほど、無駄な時間を意識する。つまり機会費用について敏感になる。

一方で、ここに来て就業率は上昇しているけれど、そうなれば多忙な人は増える。おカネは稼ぐけど、時間はない。そうなれば、稼ぐほどに買い物への関心は低下するかもしれない。

百貨店はもちろん、モールもスーパーも高齢者が目立つ。実際「運動になるから」と歩く人もいるようだけど、滞在時間の割に購入額は高くないだろう。広いショッピングモールに来る人は、無料の散歩空間を楽しんでいるだけなのか。

そりゃ、まだまだ店にも人はいるけれど、「稼ぐけど忙しい人」をつかまえるのは、どんどん難しくなると思う。

これは、景気とか世代とかとも微妙に違っていて、「探索コスト回避層」がジワジワ増加しているということなんじゃないだろうか。

そうなると「選ぶ楽しさ」とか言ってる大規模店の発想は一方的な思い込みで、これからは想像以上に厳しくなるかもしれないなあ。