2018年01月アーカイブ

「格差」という言葉が社会的なテーマになったのは今世紀に入ってからだろう。いろんなデータを見ると、実際は90年代初頭からジワジワ広がってきたといわれる。ただし、小泉内閣の「新自由主義」と絡めて、格差が拡大したという印象が強いようだ。

そして、「自己責任論」が広がっていったと思われている。

ただ、その辺りについてちゃんと検証したわけではない。

NHKスペシャル取材班の『健康格差』という本も、その辺りの「常識の壁」にぶち当たっていると思う。健康格差が、個々人の問題ではなく社会全体の問題であることは確かだと思うけれど、その背景にある心理分析は表面的で、むしろミスリードしてしまう気さえする。

この本には番組の採録がある。健康は自己責任か?いや、誰だって弱者になるのではないか。そういう宇野常寛氏に対して、70代の男性が異を唱える。自分は不摂生をやめたんだし「強い意志を持てば自己管理できる」という。

それに対して、宇野氏が「国家や社会っていうのは、サイコロ振って変な目が出ても、ちゃんと生きていけるためにあると思う」と反論した。

この言葉に、NHKの神原一光氏は「心に強く残った」と書いている。

ところが、この「サイコロ」の比喩はそもそもおかしい。たしかにいくら努力しても、健康を崩すことはある。ただし、サイコロのようにまったくコントロールできないわけではない。

その意味で、先の男性の言葉に対する反論としては半端だろう。このサイコロの比喩では、「健康格差を解消するために助け合う」というロジックにモヤモヤしてしまう自己責任論者を説得できるわけがない。

それよりも、平野啓一郎「国が成人病を『生活習慣病』とした」ことが、一つの問題ではないかと言っている。この言葉の変化はとても重要だし、これが「自己責任」という発想を強めたともいえるだろう。 >> どこか中途半端なNHKスペシャル『健康格差』の続きを読む