AIをめぐる優れた中間報告書。『強いAI・弱いAI』【書評】
(2018年1月12日)

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先日、自宅のアレクサに「好きな温泉は?」とたずねたら「草津温泉に行きたいです。お湯には入れませんけど」と言ってた。好きなおせちは「黒豆以上のものはありません」ということだ。

どこの家でもこんな感じなのか知らないが、結構かわいいものである。

AIという言葉はもう一気に広がっているが、おもしろいなと思うのはこの言葉に対する否定的な反応をする人だ。

「AIはしょせん、ルールのあることしかできないんでしょ」

こう言う人は、囲碁や将棋を念頭においているらしいが、大概「ルール通りのこともできてない」ような人だったりする。というか、囲碁や将棋ほどアタマを使うことをしていない。

「でも、人間のような感情はないよね」

と、これまたよく聞く話だ。でも、そう言う人ってムダに感情的な人だったりする。イヤ、あんたの感情のおかげで仕事がロクに進まないんじゃないか、と言いたくなったりする。

考えてみれば、人間の感情というのは社会において非合理に働いていることの方が多いんじゃないか。外交のもつれを紐解くと、結局そこに行きつくんじゃないかという気もする。

そう考えると、「AIが人を超える」ということはあまり問題ではないのかもしれない。

むしろ、「人から余計なものを取った状態」というのが、よくできたAIなんじゃないか。

受験生だって、「思春期のアタマの中のモヤモヤ」が相当邪魔をしているはずだ。ビジネスだって「なんでこんなこと」という理不尽感が効率を下げることもあるだろう。

まあ、そもそも「いくら働いても腹減ったと言わない」というのが、機械化の目的のようなもんだから、人の仕事が機械化される理由は昔から似たようなものなんだろうな。

まあ、そんな感じで「門外漢だけでAIが気になる」者にとって、この「強いAI・弱いAI」というのは、最適な中間報告書かもしれない。

研究者の鳥海不二夫氏による、研究者へのインタビュー集なので多面的に「AIのいま」がわかってくる。タイトルにある「強いAI」というのは、いわゆる「自意識を持ったAI」のようなものを指すそうだが、その定義自体も含めて議論の段階だ。

そのプロセスがよくわかるのが本書のいいところで、煽り本でもなければ夢想話でもない。

研究者以外では、唯一羽生善治が登場するのだけれど、いろいろな意味で「さすがだな」と思われせる。

「感情のようなものは、恐怖心とか生存本能といったものに色濃く関連したもの」という彼の言葉は、なんかの本質を突いているんじゃないか。

一方で、感情というのは人間自体もちゃんとは理解していないし、外から見て「推測している」ものだったりする。だとすれば、コンピュータの活動が高度化していくと十分に「感情がある」と言えるのではないかともいえるだろう。

バランスよくAI研究を見渡すのには本当にいい本で、以前紹介した「人間様おことわり」と併せて読むのもいいかもしれない。