「講義でパソコン”禁止”」とは言わないけれど。
(2018年2月23日)

カテゴリ:世の中いろいろ

少し前に、「ミーティングの際にパソコンでメモを取るのはNGか?」のような記事をネットで見た。これって、定期的に湧いて来る話で、僕は紙とパソコンを使い分けている。

どっちがいいというわけではない。

何かのファイルにメモしたい時や、そのまま、形にしたい時はパソコンを使う。

考えをまとめながら、構想を作りたい時は紙にする。

ただ、「パソコンは失礼」という人もいるようで、こうなると、もうよくわからない。そんなこと言ったら、メモだって失礼なんじゃないか。

さて、その一方で大学の講義ではパソコンを使うことは、推奨しない。というか「できれば、やめておけ」と言っている。

ただし「禁止」とは言わない。そういうルールを作ると「自分で考える」という大切なプロセスを学生から奪うと思っているからだ。教室の中で権威的に振る舞うことは簡単だが、思考を促すためには少し工夫がいる。

では、なぜ講義の際は手書きノートがいいのか?そう考える人は多いようで、これについては、米国などでも研究があってこちらの記事などに書かれている。「学習効率を下げる」という研究結果が次々に出ていたり、他の学生に悪影響があるというからだ。

僕は「いい成績のため」手書きを推奨しているわけではない。パソコンやスマートフォンなどのデバイスを使用する機会が増加する中で、「書く」という行為を忘れてしまうことは、「ちょっともったいない」と思っているからだ。

自ら腕を動かして「書く」という行為は、思考と密接に結びついている。そして、記憶にも関係していると思う。

以前会社にいた頃に、こんな経験を何度かした。

会議に行くときに、出先表というボードにペンで行き先を書く。たとえば「9-E」という会議室の名前を書くわけだけど、何人かで一斉に動き時は誰か1人がまとめて書く。

そして、9階についた時に「あれ、どこだっけ?」ということが起きる。EだかFだか、あるいはDだったのか、忘れている。まあ。VやWではないらしい。

こんな時に「9-Eです」というのは、その前にボードに出先を書いた者なのだ。「9-E」という手の動きを記憶しているのだと思う。

講義の際にノートに書くことは、また自由度が高い。もちろん板書の内容以外にも、話している内容を自分で「編集」することになる。パソコンでも自由度の高いソフトはあるけれど、紙とペンはオリジナルの編集ソフトだ。

デバイスは人の思考を規定する。規定、というのが言い過ぎだとしても「方向づけ」くらいはするだろう。

「自分らしさ」に関心があるなら、紙のノートもいいんじゃないか。

だから、「騙された」と思って、講義の際は「手書きノート」を薦めている。「やっぱりパソコンでしょ」という声は、今のところ聞かない。