2018年06月アーカイブ

NEWSPICKSが広告を出していて、「さよなら、おっさん」というキャッチコピーは、まあ、キャッチーだ。「おっさん」というのは、「この国の凝り固まった価値観やルール」と書かれているけれど、まあ実際には一定年齢以上の男性だろう。

やっぱり、おっさんはおっさんだ。

実際に、おっさんは多い。これは総務省の人口推計に出ている2017年10月1日の人口ピラミッドだけれど、40代後半が最大勢力だ。第1次ベビーブーマーも、まだ相当に多いが70歳を過ぎると絶対数はジワジワ減っている。

ただ、それはまあ以前からわかっていたことだけど、僕は別のことに興味がある。

「おっさん」は、「おじさん」が口語化したというか、促音便というか、それはまあいい。

では、女性で「おっさん」に当たる言葉は何か?「おばはん」かもしれないけど、ちょっと違う。そもそも、「おばさん」だって、昔は揶揄されていたではないか。

あ、そうだ。気がつかないうちに「おばさん」は着実に減っている。

かつての「おばさん」は、立派な体型と、タフな神経で日本を席巻していた気がする。福袋の前では、ラグビーのフォワード並みの突進力を見せ、連休の高速道路のサービスエリアでは男性トイレに侵入する。

もちろん、今でもそういう人はいるのかもしれない。でも、記号としてのおばさんはとても弱くなった。そうだ、かつてのユニクロのCMで「返品可能」をアピールするのに、すごいおばさんが出てきた。いまでもこんな動画が出てくる。20年以上前のようだが、あの頃は記号としての「おばさん」は十分健在だった。 >> さて、「おっさん」はどうなるのか?の続きを読む



(2018年6月13日)

カテゴリ:世の中いろいろ

ワールドカップが、1週間後に迫っている。昨日は勝ったけれど、ではそれでグッと盛り上がっている感じはしない。なんというか、「始まる前から後味が悪い」という奇妙な感覚になっている。

もちろんサッカーファンにとっては「そんなことはない」のだろうけれど、「フツーの人」の関心は移ろいやすい。開幕したら、それなりに賑やかになる可能性はあるけれど。

やはり、前監督の解任から「なんか変な感じ」が漂っているんだろが、その後もどこか妙な空気がある。

でも、それはプレーではなくメディアから漏れてくる「言葉」が関係しているように思うのだ。

本田がNHKの番組でこう言ったとか、長友がツイッターで挑発的なことを言ったとか、その内容は素人が見ていても「いい感じ」にはほど遠い。

考えてみると、最近のスポーツの話題は、「競技の外」であることも目立つ。どちらかというと、「言葉」をめぐる騒動だ。

日大のアメフトをめぐる話も、プレーそのものよりも「記者会見で何を言ったか」「どんな指示があったのか」ということに焦点が当たっていた。考えてみれば、昨秋からの大相撲の騒動もそうだ。言葉の応酬が続いたけど、いったい何が問題だったのか、よくわからないままに終わってしまった。

その、「言葉の格闘」はSNSを通じてだれでも参戦できる。

羽生弓弦や大谷翔平の活躍には、称賛の言葉が連なる。ところが称賛の語彙は多くない。だからみんな同じ言葉を連ねることになるし、言葉よりも拍手を送りたい気持ちになるだろう。 >> スポーツと言葉。の続きを読む



「フィデリオ」が終わった。

といっても、普通の人には良く分からないかもしれないが、新国立劇場で上演されたベートーヴェンの「フィデリオ」というオペラの演出が大胆というか奇抜というか、日本のオペラ村ではああだこうだと盛り上がったのだった。

計5回の公演は結構客の入りも良かったけれど、仮に満席でも延べ一万人弱くらいなんだから、やっぱり村な感じだ。そして、この村はいろいろと口うるさい人も多い。

そもそも、フィデリオというのは突っ込みどころの多いオペラだ。ベートーヴェンも相当悩んだのか、序曲だけでもたくさんある。で、内容はいたって単純。

とある悪人の不正を暴こうとした男は無実の罪で刑務所暮らし。そこに男装した妻が忍び込んで看守のもとで働き、地下牢の夫と再会。悪の総統に見つかり殺されかかるところで、正義の大臣が到着して「お裁き」となりめでたしめでたし。

思ったより、簡単に書けた。しかし、ベートーヴェンというのは、作劇が苦手なのだろう。最初の序曲から30分くらいの歌は、いわば「現状説明」だ。話が前に進まない。その上、全体として「私はこう思う」という歌がやたらと多い。何かに似ているかというと「第九」のような感じだ。 >> 新国立「フィデリオ」とクラシックの憂鬱。の続きを読む