2018年12月アーカイブ

う~む、6月か。読んだ本が最も少なく9冊だったことに気づく。1ケタというのはこの月だけだった。­原因はあれだ。ヒトごろしだ。いや、別に誰かに殺されそうになったというわけではなく、京極夏彦『ヒとごろし』(新潮社)のせいだ。だって、1088ページだよ。硬い枕が好きなら、それもいいかもしれない。いや、厚さの話になってしまっているけど、これは何かというと「新撰組」の話なのだ。

土方歳三が「合法的に人殺したい」という理由でつくったのが新撰組という設定で、ひたすら土方目線で描かれる。まあ、青春のかけらもない権力抗争劇で、後半は100頁ずつかけて、一人ずつ土方に消されていくような展開。そして、沖田総司は「ドブネズミのような奴」と描写される土方以上のサイコパスで、竜馬はただのゴロツキ。

その直前に読んだ『悪霊』に通じるものもあるんだけど、何というかダメなベンチャー企業の、七転八倒物語にも見える。

新撰組を美しい話として大切にしたい人でなければ、楽しめると思うけど、いや疲れた。

お薦めのノンフィクションは、アニル・アナンサスワーミー『私はすでに死んでいる』(紀伊國屋書店)で、脳がうまく働かないことが人にどのような影響を及ぼすかが、多様な事例と共に語られる。

「自分の脳は死んでいる」と思いこむコタール症候群が、タイトルの由来だけど、そのほかにも離人症や自分を切断したくなる人など、人の意識の不可思議に迫る作品。

上田秀人『本懐』(光文社)は、いろいろな人の「切腹」を描いた話で、着眼点はいいと思うんだけど、読んでいるとお腹がムズムズしてくる。

レイフ・GW・ペーション『許されざる者』(創元推理文庫)は、北欧ミステリーらしい重厚な構造だけど、登場人物は軽めで読みやすい。ただ、何となく北欧の世界観に何となく飽きを感じている気もする。

本郷和人『壬申の乱と関ヶ原の戦い』(祥伝社新書)兵頭裕己『後醍醐天皇』(岩波新書)など、日本史×新書は相性がいいのかどんどん出てくる。前者は歴史をこれから学びたい人にはお薦めできる。

大澤真幸・稲垣久和『キリスト教と近代の迷宮』(春秋社)は、議論自体が迷宮に入っているようで、「宗教をアタマで理解するインテリ」の限界を感じた。

伊丹敬之『なぜ戦略の落とし穴にハマるのか』(日本経済新聞出版社)は、当たり前のようでいながら、日本企業の悪癖がきちんと整理されている。

そして、マンガ好きには興味深く読めるのが、萩尾望都『私の少女マンガ講義』(新潮社)だ。で、その講義内容もともかく質問の的確さに驚くんだけど、だって日本ではなく至りの大学での講義なのだ。なんか、読んでるとそんな感じがしないし、ある意味日本人には気づかない視点もあって、それが萩尾望都への優れた批評のなっているという驚き。

宝塚上演もあり、昨年は『ポーの一族』を再読して、勢いで限定BOXとか買ってしまったけど、やはり天才は天才で、しかも彼女の場合滲み出る人間性にも魅力がある。世の中には、すごい人がいるんだなあ。

 



やっと、5月。なんか年内に書ききれない感じになってきた。

この月はいろいろと面白い本があって、まずはバーナデット・マーフィー『ゴッホの耳』(早川書房)は、あの画家の「耳」がどのように削ぎ落されたのか?という謎に挑む。いや、これはミステリアスであり、かつ調べていくプロセスも面白く、しかもゴッホという画家の本質にも迫っていく。今年読んだ中でも、もっとも読みごたえがあった本の1つ。

海外のノンフィクションで、スティーブン・ジョンソン『世界を変えた6つの「気晴らし」の物語』(朝日新聞出版)は、『世界をつくった6つの革命の物語』の続編だけれど、これは2冊とも読むのがお薦め。楽器のキーボードと、いま使っているパソコンなどのキーボードの関係とか読むと、音楽というものがいかに技術発達と不可分な関係にあるかよくわかって、その辺が美術とはちょっと違うんだなと感じたり。

日本の小説では古処誠二『いくさの底』(KADOKAWAが、ちょっと意表を突いた設定で最後まで読ませるミステリー。第二次大戦のビルマの村における日本軍の中で起きる事件なのだけれど、これがある種の密室ミステリーにもなっている。雰囲気も含めて面白かった。 >> 【2018年の本から/5月】やっぱり『ゴッホの耳』は傑作だと思う。の続きを読む



まだ、4月ではないか。何かこの月はあまり読んでなかった。というかことに新刊が少なくて、かつ仕事がらみの調べ物が多かったんだろう。

大澤真幸『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(KADOKAWA)は、ブログのこちらで既に書いているけれど、結構気になって読まれた人も多かったようだ。ことにメディアや広告の仕事をしている人にとっては気になる内容だったんだと思う。

何であまり読んでないのか?というと忙しいこともあったけど、幡大介『騎虎の将』(徳間書店)の上下巻が結構な大部だったからかもしれない。でも、これはちょっと意表を突く切り口の時代小説だった。

主人公は太田道灌。東京で生まれ育った人であれば、学校でも必ず教わるだろう。「江戸」を開いたと言われる人で、旧都庁に銅像があった。新宿に引っ越しの時にもっていったのか、それにしてもどこにあるんだと調べたら国際フォーラムに残したらしい。

いずれにせよ、室町時代の関東を代表する人物の1人だけれど、そもそもこの頃を舞台にした小説自体が少ない。小説、そしてドラマや映画でもあまり人気のない室町時代であるが、最近はジワジワと関心が高まってる気もするし、この作品はなかなか面白いところに目をつけたと思う。

変わった時代といえば、澤田瞳子『火定』(PUP研究所)は、奈良時代を舞台にした疫病との戦いを描いている。その疫病は天然痘。目の付け所はもちろん、ストーリーの展開や人物の描きこみなど、平城京の時代に引き込んでくれる小説はそうそうない。 >> 【2018年の本から/4月】奈良時代や室町時代の小説が面白くなってきた。の続きを読む



さてさて、3月になった。

リストを見てみると、そうだそうだ奥泉光『雪の階』(中央公論新社)ではないか。これは、そうとうやられたなあ。昭和初期を舞台にした長編だけれど、ミステリーというには収まりきらないスケールで、歴史小説というにはファンタジックだ。1年を振り返っても、フィクションでは一番響いたかな。詳しくはすでに、こちらのブログに書いてある。

ノンフィクションではヴィンセント・ディ・マイオ『死体は嘘をつかない』(東京創元社)がよかった。筆者は親子2代にわたる検死医で、多くの犯罪に立ち会い、裁判にもかかわったきた。単なる「犯罪小説の裏側」にとどまらずに、事件を通じて米国社会の構造が浮かび上がって来る。検死に関わる話は小説にも多く、「またかな」という気もしたけれど、この辺りの複層的な厚さが類書とは全く違った。

佐藤賢一『遺訓』(新潮社)は、西郷隆盛を描いているのだけれど、主人公は沖田総司の甥であり、カギを握るのは庄内藩に連なる人々。佐藤賢一ならではのスケール感があり、なんか「日本の歴史専門です」みたいな小説家は、ちょっとつらいんじゃないかな、と余計な心配をしてしまう。 >> 【2018年の本から/3月】『雪の階』から新訳の『アンナ・カレーニナ』まで。の続きを読む



というわけで、本日は今年2月に読んだ本から。

振り返ってみると、最も印象的なのはヒュー・マクドナルド『巡り逢う才能』(春秋社)だった。1853年という1年の間に欧州で起きた音楽家たちの劇的な邂逅を描いた一冊だ。若いブラームスに、悩めるシューマン、胸を張るワーグナー。この本については、こちらのブログでも書いている。ただ、クラシック音楽に関心がないとととっつきにくいだろう。

で、意表を突かれて面白かったのが、ダン・アッカーマン『テトリス・エフェクト』(白揚社)だ。あの有名なゲームは、1984年に旧ソ連で生まれた。このタイミングが絶妙で、やがて来るペレストロイカやらなにやらの嵐の中で、世界規模のライセンス争奪戦になる。

冷戦時代のスパイ小説、というより下手なフィクションより全然面白い。

門井直喜『銀河鉄道の父』(講談社)は直木賞受賞作品で、高評価に付け加えることもない。ただ近年のこうした賞はどこか「功労賞」みたいなこともあるけれど、この受賞はまさに作品に対してもものだろう。同じ作者の『家康、江戸を建てる』(祥伝社文庫)も、お薦め。

長谷川晶一『幸運な男――伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』(インプレス)は、「ノンフィクション読後感大賞」とかあったらトップ争いをするんじゃないだろうか。スワローズファンはもちろんだけど、野球に関心のある人なら何かが響くはずだ。タイトルが素敵で、内容が裏切らない。

廣瀬匠『天文の世界史』は、予想外と言っては失礼だけれど、宇宙を通じて文化と科学の歴史を解き明かす一冊。科学者が書いた宇宙のホントは一味違って、占星術の伝播や宇宙をめぐる哲学まで縦横無尽。文系が読んでも理系が読んでも「ああ、そうなのか」となれる稀有な本だけど、新書でとっつきやすいのもありがたい。

佐光紀子『「家事のし過ぎ」が日本を滅ぼす』は鋭い指摘もあるんだけど、ロジックが時に甘かったり、タイトルの雰囲気で損をしている感じがする。

霧島兵庫『信長を生んだ男』(新潮社)は、弟の信行に焦点を当てた作品。山ほどある信長ものの中で異彩を放っていていた。

アビゲイル・タッカー『ネコはこうして地球を征服した』(インターシフト)は、既にネコに征服されている方々には強くお勧めする。これからも納得づくで被征服者としての人生を歩んでほしい。

服部龍二『佐藤栄作』(朝日選書)は、既に多くの証言なども出てきた現在となっては、あまり新しい発見は感じられない気もしたけれど、包括的な評伝はたしかに初めてかもしれない。

ただ、この時代を知りたいなら、2017年に出版された山崎正和『舞台をまわす、舞台がまわる 』(中央公論新社)に尽きるのではないだろうか。

で、この月に読んで「なんでこれ読んでいなかっんだ!」と驚いたのが、歌野晶午『ずっとあなたが好きでした』(文春文庫)だ。この作者は好きなんだけど、2014年の初版を見逃してたようで、昨年末に文庫化されていた。とにかく、ずんずんと読み進めて、この大仕掛けに唸ってほしい。相当精緻な仕掛けなので、もうあまり書かないし、邪推はなしに読めばいいと思う。

ネットのレビューにはいろいろ書いてあるけど、多くは同業者の嫉妬じゃないかと思うほどだよ。