2019年08月アーカイブ

哲学の歴史は、理性の歴史である。と、知ったかぶりようなことをいきなり書いちゃったけど、素人的には「まあ、そういうものなのか」と感じるのが普通かもしれない。

ところが、ちょっと考えると哲学者や思想家と言われる人は、「ギリギリのところ」で何かを考え続けていたのではないか?という感覚はどこかにある。作家でも、ドストエフスキーなどは、その「ギリギリ感」がもっとも強烈かもしれない。

本書はそのギリギリ感を「創造と狂気」という視点で編みなおした一冊なのだけど、本当に驚きの連続だった。こんな本は、そうそう読めるものではないと思う。

最近ビジネスの世界でも耳にするのがクレージー(crazy)という言葉で、辞書には「気が狂った」とあるけれど、それは「困ったこと」だけではなく「常識を超えた」というニュアンスでも使われる。

そして、西洋思想史でも「創造と狂気」を結びつける考え方はあり、本書ではプラトン・アリストテレスから、デカルト・カントを経て、ヘルダーリンを転回点としてハイデガー、ラカンそしてドゥルーズへと歴史を追っていく。

いままでも病跡学という研究はあり、そうした学問上の名は知らなくても、いわゆる天才たちの「病」を論じたような話は聞いたことも多いだろう。昨年楽しんだ『ゴッホの耳』などでは、彼の病についての議論も書かれている。ただし、本書はそうした研究をさらに一段高い視点で分析している。

そこでまずハッとさせられるのが「統合失調症中心主義」という言葉だ。 >> 【夏休み書評】『創造と狂気の歴史』の衝撃と納得感。の続きを読む