指田珠子と瀬央ゆりあに感嘆した、宝塚「龍の宮物語」
(2019年12月10日)

カテゴリ:見聞きした

西へ旅した。目当ての一つは宝塚のバウホールで演じられていた「龍の宮」物語だ。

まったく先入観を持ちたくなかったので、あえて下調べもせずに行ったのだけど、これが良かった。そう書くとあっさりしてしまうのだけど、感嘆した。いや、宝塚の新作でオオ!と感じるのはいつ以来か。

そうそう、上田久美子さんの「翼ある人々」以来かな。その時の感想を見ると、2014年の2月。まず、本がいい。そして、演者のチームワークも引き締まっていて。作品への共感がじわじわと伝わる。

瀬央ゆりあは、凛として、それでいながら微かな翳もある。その純真なキャラクターが自然に感じられる。有沙瞳の声も豊かで、たっぷりと聴かせる。

そして驚くのが、作者である演出家・指田珠子さんは、これがデビュー作だということ。

夜叉ケ池伝説をモチーフにしながら、竜宮説話とからめて、精緻な構成でつくられている。そういう作品だから、観たのは12月2日だったけど、今日まで書かなかったのはネタバレになるから、ということもある。

たとえば、作中に30年のタイムスリップが起きる。最初の方で新聞を読みながら「日英同盟」云々と言っているので、30年後といえば昭和初期だ。

それは前半で明かされるのだが、後半になるとこの「30年」の意味が効いてくる。この間には、日本を「揺るがした」大事件がある。そして、恐慌も起きる。

そうした社会的背景をうまく組み込みながら、伝奇的なロマンスは段々と翳を濃くしていく。悲劇が確実に予感される中で、それが避けられないことを知りながら走っていく。

そんな独特の疾走感があり、それを演者たちの切迫した芝居でグングン引き込んでいく。

構成は理性的だけど、ラストにいたる切なさもまた素晴らしい。

悲しい、というよりは哀しい。いや、それでも何か違っていて「切ない」。きっと英語などには適訳がなさそうなこの感覚を作品に昇華しているのだから、指田珠子さんってただものではないなあ、と思うのだ。
ちなみに言葉への気遣いもしっかりしていると思う。龍神の火照(天寿光希)がクライマックスで「ああ、口惜し(くちおし)」と叫ぶのだけど、これが「くやしい」ではないことで、空気がグッと引き締まったような感じになる。
こういうのって、大切だと思うのだ。

というわけで、いろいろと驚いた「龍の宮物語」というわけで、ぜひ東京でも再演してほしいと願ってしまう。