2020年04月アーカイブ

人から指図されるのはあまり好きではないし、空気を読んで「自粛」したような経験はなかったんだけど、さすがに今回は自分の行動を制限して、1ヶ月くらい自宅の徒歩圏で暮らしている。

考えてみると2月末に「大規模イベント中止」になって、週1くらいでどこかの舞台に行っていたから、寂しかったし心配になる。外での食事は少人数では続けていたけど、3月末の都知事の記者会見で、さすがにやめた。

仕事はオンラインで続けていたけど、私生活の不満はどうなったかというと、それなりに適応している自分に気づく。落語は生配信があるし、ベルリンやウィーンのコンテンツも見られるし、近所のテイクアウトも充実して、ジムに行かなくても早朝ジョギングも気持ちいいし、zoomで飲んでも十分楽しい。

そうやって、不自由なはずの現実とどうにか折り合いをつけている自分に気づき、「ああ、これは“合理化”ってやつなんだ」と改めて思った。人は思うようにいかないときに、自分を納得させる「防衛機制」という心の仕組みがあると言われるけど、それがいま発動してるのか。

チケットが払い戻され、カードの支払いも少なく「なんかいいんじゃないか」と思った時点で、「ああ、こうなると舞台や外食の仕事をしている人はますます大変だ」と気持ちを改める。ただ、改めたところでいまできることは少ないんだけど。

で、ふと思ったんだけど、もしかしたらいまの日本で多くの人が「過剰適応」になってるのかもしれないんじゃないか。 >> 自粛への「過剰適応」で疲れてないかな?の続きを読む



1ヶ月以上も徒歩圏で生活していて思ったのは、「わざわざ出かける理由」って意外とないんだな、ということだ。

もし「どこ行ってもいいよ」と言われたら、旅には行きたいし、友人には会いたいけど、それ以外はどうだろう。打ち合わせはオンラインでいいし、飲食店にしても過密なところは気が引けるし、マスクしながら観客席に座るのも、どうなのかなあ。つまり、いろいろ自分で選別しながら「新しい日常」が始まるんだろう。

「元には戻らない」とか「New Normal」と言われるけど、戻りたい世界もあれば、そうじゃない世界もある。

で、「もう戻りたくない日常」っていうのもあって、その代表が通勤ラッシュだろうってことは、しばらく経験してなくても想像がつく。

仮に行動制限が解けたとしても、リモート継続の企業はあるだろうし、就業ルールも見直されるだろう。出張よりもオンライン会議となり、多人数の宴会は制限されると思う。交際費課税特例も廃止になり、煙草も吸えず、個室使用は危なっかしい。

そう考えると、「サラリーマンの行動依存ビジネス」は軒並み曲がり角を迎えて、今後も元のようにはならないかもしれない。

・動く=運輸交通

「リモート可」が採用の差別化になれば、どこも競って脱通勤となるだろう。それに、出張を伴う会議は経費見直しの中で特にオンラインになる。管理職が月1回本社に集まるような会議は減るだろうし、収益構造が大変化すると思う。

・食べる=飲食

既に居酒屋業態は数年間低下傾向だったけど、決定的な転機になるだろう。企業の宴会自粛ムードは続きそうだし、密空間がこれだけ忌避されると、席間を詰めて低単価で人を集めていたような店は厳しい。ゆったりさせれば単価を上げざるを得ないけれど、当面所得は上がらないから客は動きにくい。個人客中心の店舗以外は、根本的に変わるのではないかな。

・住む=不動産

都心部を中心に飲食店が退去するだろうし、そもそも「中心部には人が来て働く」ことを前提に土地の価値が決められていたのが大きく変わる。リモートが進むからといって、いきなり郊外に住むわけではないだろうけど、相当なインパクトになるだろう。

・着る=アパレル

ただでさえカジュアル化で単価が低下している時にこの騒動でもちろん厳しい。オンラインミーティングだからトップスだけ売れる、というのも一過的だろうし。

もともと、会社員って「密」な空間で朝から夜まで暮らしてきたわけで、そうした会社員の行動がいろんな産業を支えてきたんだと改めて思う。

ただし、働く人の可処分時間はむしろ増加する可能性もあり、それがデジタル空間に流れるのか、他の可能性があるのか?というあたりが次の論点になっていくのだろう。



しかし、欧米のように都市封鎖が起きると、文化やスポーツは全くなくなり、クルマなどの工業生産も止まり、食べて生きるための最低限の活動だけになっていく。会うのは家族か周辺の人々のみで、宗教にすがる。ふと思ったけど、これって考えてみれば「中世」なんだろう。

お酒を飲んで騒ぐことも「笑い」もなく、なんか『薔薇の名前』を思い出す。ITがあるとはいえ、まさか中世を体感するとは思わなかった。

そう考えると、観光や外食などいま大きな影響を受けている業界は、近代以降に盛んになったものだ。

そうなると、欲求も変化するのだろう。そこでふと思い出したのがマズローの、あの欲求段階説だ。用語はマズローの『人間性の心理学』(産業能率大学出版部)に準じてる。

気づくのは、とにかく世界的のどこでも、一番基本の「生きること」に精一杯ということだ。もちろん、安全も欠かせない。

そして、誰もが人との絆を確認する。会社から在宅になり自分の帰属先も見直すことになり、愛を求める。

という感じで下からたどった時、ふと気になるのは、承認欲求だ。もともとは、「自己に対する高い評価、自己尊敬、あるいは自尊心、他者からの承認などに対する欲求・願望」と書かれている。ここで想定されているのは、仕事などを通じて社会から認められることだが、これがネットの普及で相当手軽になってきた。

SNSで「映える」写真をアップしてハートが染まったり、みんなにリツイートされる「うまいこと」を言えば、たしかに承認欲求は満たされる。そんなわけで、知らぬ間に承認欲求は肥大化したり、時にはこじらすようになっていた。

しかし、SNS上の写真の両雄である「旅行」と「外食」は封印されてしまった。エンタテインメントも滞るから、政策に文句言うくらいしか大喜利のネタも乏しい。

そこで、みんな思うんじゃないか。「なんだ、承認されなくても別に生きていけるじゃないか」と。

もちろん、いつかはまた世界も戻るかもしれない。けれど、まったく同じになるのだろうか。このような中世的な生活にも何かの価値を見出していく人も増えるんじゃないだろうか。既に欧米では農業生産に影響が出ているから、今年の後半は「食べること」自体が大変になるかもしれない。
そして、続いて来たグローバル化に「騙された」と感じる人もたくさん出て来るだろう。

マズローが、欲求を論じたのは20世紀中葉のことだ。しかし、改めて考えてみると承認欲求の普遍性はどのくらいのものなのか。生きていくうえで本当に大切なこと、満たすべき欲求について現代の、特に先進国の人は何か勘違いしていたのかもしれない。

ちなみに「自己実現欲求」というのは、原著をちゃんと読めばごく稀に見られるものだということがわかる。つまり「自己実現を目指しましょう!」と安易に言う人のことは信じない方がいいと思うんだけど、そうやって足元を固めずにフワフワと「上」を目指してきた人間に対して、価値観の見直しを迫っているように感じるのだ。

コロナ禍のあとの世界は、大きく変わるだろう。そして、そこでは「中世」がキーワードになると思ってる。

 



考えてみれば、会社辞めてから15年以上在宅勤務なわけで、事務所を借りなかったのは単に出勤が面倒だったし、別に自宅でどうにでもなる仕事だからだと思う。辞めた頃は仕事部屋もなかったが、その後引っ越していまの部屋で12年になるのか。

そして、世の中は一気に在宅で働くようになったわけだけど、自分がしてきた習慣を書いておこうと思う。

 

1.出社時間ではなく出発時間から仕事する

仮に9時出社で8時に会社を出る人なら、8時から働いた方がいいと思う。そして、その分早く終わらせる。会社によって在宅時の制度は異なると思うが、可能なら早いスタートに越したことはない。通勤という不合理を実感できるはずだ。

 

2.ちゃんと着替える

なんとなく「ルームウェア」のようなもので過ごす人もいるかもしれないが「会社へ行ってもいい」服装で過ごした方がいいと思う。僕はずっとそうしてきた。会社辞めて間もない頃、自宅で仕事をされている文芸評論家の人と話した時、「着替えてる?」と聞かれて「はい」と答えたら「だったら大丈夫」と言われた。いろんなフリーランスを見てきたようで、どうも「ちゃんと着替えない」人はダメらしい。だったら、事務所を借りた方がいいそうな。もちろんスーツの必要はないだろうけど「人に会う」くらいの格好ということ。

 

3.コンビニめしは食べない

僕は1人の昼飯は冷凍したご飯を温めて自分で作ったぬか漬けとか、冷蔵庫の常備菜を食べる。あるいは外に食べに行く。自分でこさえても、外へ出ても気分転換になる。自炊すると健康管理もしやすい。そう考えるとコンビニの食事は、なんとなく仕事からのけじめもつかない。パソコンの前で、そのまま何かを頬張ったりしてると効率はかえって落ちると思う。

 

4.カフェで仕事をしない

気分転換で外に行くなら、いったん仕事は忘れて読書した方がいいと思う。場所を変えたら何か閃くとか期待しない方がいい。会社員時代に見てて思ったけど、すごく仕事のできるクリエイターはたいがい自分のデスクで考えていた。環境を変えればいいと思ってるとすれば、それは夏休みの宿題を図書館でやろうする中学生と同じ発想じゃないかな。あれって、結局大して進まないでしょ。

 

5.決まった時間歩く

歩数はスマートフォンで記録できるし、1万とは言わないけど歩くことは大切じゃないかと。パソコンの前だと「作業」になって、それで仕事をした気になるけど、本当に構想やアイデアを考えるなら、画面から離れるのも1つの手だと思う。

 

まあ、人それぞれだと思うけど参考になれば。



これほど、4月1日らしくない4月1日もないように思う。僕もいろいろな仕事がリモートになり、企業から依頼されている新入社員のトレーニングも自宅からオンラインでおこなうことになった。

そんなことで、新人としての初日から自宅待機になる学生たちと話した時に言ったことを書き留めておこうと思う。

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まず、これからの期間はとても貴重な「備えるための時間」だと思う。単に「待機」というだけでなく会社からいろいろな課題も出るだろうしオンライン講義もあるだろうけど、それ以上に大切なのは、いつか仕事に参加する日に備えて「自分で準備すること」だと思う。

あるスポーツライターに聞いたのだけれど、どんな優れたアスリートでも「自分のチカラではどうしようもできない」時があって、それはケガなどをしてプレーできない時期だ。

そして、そのような時にどうするかで一流とそれ以外の岐路があるらしい。

普通の選手は、静養してリハビリテーションに励む。これは当たり前のことだろう。

二流の選手は不貞腐れて酒を飲んだりする。ケガの時に一番してはいけないことだけど、昔は有名なプロ選手でもそういう人がいて、結局はキャリアを棒に振ってしまった人もいたという。

そして、一流の選手は治すだけでなく、いつかその時に備えて自分で考えて行動するという。下半身を痛めたら、体幹を鍛える。プレイできない時こそ、時間を活かしてできるトレーニングをする。あるいは、何かを読んで学ぶ。

今年の新入社員にとっても「自分のチカラではどうしようもできない」という意味では、まったく同じだ。

だとすれば、いろいろな本を読んだり、オンラインで自ら語学などを学ぶなど、いろいろと自分を磨くために時間を費やすのものいいし、食生活を見直して料理でもして体調を整えることを学ぶのもいいと思う。できる限りで、体を動かすこともできるはずだし。夜も週末も自宅にいる機会が多いから、これをチャンスにできるはずじゃないかな。

自分ではどうしようもできない、ってことはこれからいくらでもあるだろう。たとえば、望まない配属先になってしまったとか。

でも、そういう時も「いつか」に備えてきた人は、かならずキャリアを拓いている。

だから、この異例の4月を機会だと思って、「自ら備える」貴重な時間として活用したらいいんじゃないかな。実は今年の新人は、「いままでにないチャンスをもらってる」と捉えてみれば、何かが変わるはずだ。

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というわけで、いきなり不安の真っただ中にいる新入社員の人に届けることができればと思い、書いてみた。

でも、考えてみれば社会人の中で「最も長い未来」があるんだから、この大変な期間も相対的には一番短いんだしね。

健闘を祈ります。