カテゴリ[ 雑記 ]
(2014年2月4日)

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tabletsタブレットを3つ持っている。一昨年の暮れに初期型のNEXUS7を買って、これはwi-fiで自宅使用。妻が主に使う。

同じ頃に、kindleのpaper white を入手して、これは僕が持ち歩いている。

で、先月にipad mini を購入して、これは僕が使っている。

こう書くと、「タブレット・マニア」のように思われそうだが、実際には使用用途がかなり限定されている。webを見て、外ではメールをやり取りするが、基本は「読むため」の道具だ。動画は見ないし、音楽はスピーカーでしか聴かないので、何だかもったいない気もするが、それでも十分に重宝している。スマートフォンをやめたので、必要なデバイスなのだ。
NEXUSは「試し」くらいのつもりで買ったけど、これで紙の新聞はやめることになった。そしてスマホをやめて「ガラケー+タブレット」にする時に、電波の問題でauを選ぶことにした。都内はともかく、よく行く地方のエリアではau以外LTEの波が来ないのだ。
それがipad mini を買った理由であって、電波さえクリアできればNEXUSでもよかったのだ
3つ比べて、いろいろ感じたのだが、この7インチ近辺のタブレットで、自分にとって一番大切なのは「大きさ」だと感じた。
というか、個人的にはNEXUSの方がいい。auの波が使えれば、そっちにしたいくらいだ。

理由は簡単で、「幅の差」なのだ。

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kindleを使い始めて一年あまりが経った。どうなったかというと、とりあえず小説については「kindle化されているものから読む」ようになっている。
なぜ、電子書籍にしたいのかというと最大の理由は置き場所だ。数千冊の本が自宅にあって、さらにそれ以上の本を置くため、近所にトランクルームを借りている。本を保管するためにこれ以上コストをかけたくはないのだ。
kindleのpaper whiteを購入したのは一昨年の12月で、その直後に休暇で海外に行った。プールサイドに持っていったら、両側の西洋人が二人ともkindleを持っていたことが印象的だ。
で、本を読む上で紙と比べて何ら困らないかというとそうではない。「小説については」と書いたけれど、ある程度難しい専門書や学術書だと、やっぱり紙がいいように感じる。
僕の感覚でいうと、電子書籍の最大の欠点は、「ページをガバッとめくれないこと」なのだ。
あと付箋やアンダーラインに該当する機能もあるが、これだって紙の方が遥かに使いやすい。本を書くときなどの、参照・引用する場合のことを考えると、やはり紙というのは相当によくできているなあと思った。紙の本がなくなるというのも早計だと感じる。



(2014年1月14日)

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yakanここに書くのは年明け初めてだが、いきなり私事から。
さる11日に50歳になった。だからどうした、と言われればそれまでだが、十進法の魔力というのはたしかにあって、しかも50となるといろいろ考える。
昨秋に、ふと家の「やかん」が気になった。まだ使えるのだけれど、さすがにそろそろかな、という感じにもなったのだ。思い出すと、これを買ったのは社会人になってしばらくして一人暮らしをした時。つまり四半世紀を数えたことになる。
ということは、と考えてちょっと愕然とした。やかんで、「愕然」とは大げさかもしれないけれど、次に買うやかんを同じくらい使うと、自分は75歳。
もしかすると、次に買うやかんは「人生最後のやかん」になるやもしれない。
このことである。
いや、池波正太郎を再読してるので文が変になった。まあ、やかんの耐用年数もさまざまだろうけど、今後は買い物ひとつとっても「人生最後」になる可能性がジンワリと現実になったわけだ。
そんなことを昨秋に気づいてから、50歳というのは、単なる10進法の区切りでもない気がしていた。一つには人間の世代が3周目に入るということもある。信長ではないが「人生五十年」が普通だった時代は、子どもが一人前になって次の世代が生まれるのが大体50歳くらい。
つまり、ここを超えれば爺さん・婆さんになるのだから、昔の感覚なら50以降はほぼ「余生」といっても大袈裟ではないのだろう。
>> 五十歳。残り物か、贈り物かの続きを読む



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あけましておめでとうございます。
4日と言っても、今年の日並びからいって、まだまだスタートしてない人も多いと思い、全く仕事は関係ない話を。
今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」なんだけれど、主人公は新島八重で、会津の物語ということをご存じの方は多いと思う。で、八重は同志社の創立者に新島襄と結婚する前は「山本八重」であり、その兄「山本覚馬」とともに物語の中心をなすようだ。
なんだか、自分と同じで親しみが湧くな~とか普通「山本」姓の者は感じないだろう。それくらい多いわけだ。
ただし、この会津山本家については、かなり気になるのだ。
こちらのページなどにも出てくるが、山本八重の祖先は「山本道珍」であり、その次男筋の血筋のようである。で、結論をいうと、この山本道珍は僕の先祖なのだ。
この写真は、道珍の眠る白金・立行寺の墓石である。明治34年に没したようだ。
次男筋の分家の方は、今回のドラマでも注目されているが本家の方はどうかというと、実はしっかりつながっていて僕が末裔なのである。
ううむ。自分のことを「末裔」とか入力変換したの書いたの初めてかも。
ちなみに、この山本道珍は会津の茶道頭を200年以上にわたり、代々勤めていた。茶坊主ではなく、茶道頭。文化系団体の元締めみたいなものだったのだと思う。茶道辞典にも名を残している。
そして、まだネットのない頃だが十数年前に郷土史家の宮崎十三八様を探し当て、手紙も頂いき、会津まで行ったのだが、入院されてしまいそのまま帰らぬ人となってしまった。
その後、別に情報が増えることもなくネットで検索してもあまり出てこなかったのだが、先日「八重の桜」が気になって調べたら、結構出てくるようになっていて驚いた。
幕末の動乱の折に、南部(岩手県)に流され、明治元年に長男の源太(僕の曽祖父)が東京に出てきて、やがて職を得て居を構える。その後、東京で暮らしたようで、父の戸籍謄本を見ると、出生時の「前戸主」として道珍の名が見られるのだ。高輪から三田に移ったようで、墓所は近所ということだったのだろう。
考えてみれば、山本覚馬・八重の子孫は僕と祖先を同じにするわけなのだが、いったいどうしているのだろうか。このようにドラマ注目された機会なのだから、再度資料が見つかるかもしれない。
実は会津若松市にも照会している。また会津から見てもおそらく道珍の行方はわからずじまいだと思うので、東京の寺で眠っているというのもそれなりの発見なのではないかと思ったりしている。
というわけで、何か知っている人いたら教えてくださいな(って、かなり難しいとおもうけど)。
というわけで、いつもは殆ど見ない大河ドラマだがさすがに気になる。ううむ、折角だから来年50歳になるのを機に「山本道珍」を名乗ってみようかな。
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(2012年1月17日)

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新刊を出します。『世代論のワナ』という題で新潮新書からです。とりあえず、我が家のネコに売り子をさせました。
タイトルの通り、怪しげな世代論がドンドン増殖していることへの警鐘が主眼です。「ゆとり世代」「バブル世代」のようなレッテル貼りが、かえって世代間のコミュニケーション、特に職場での風通しが悪くなっているんじゃないの?という視点で、問題点を考えて、次への道筋を考えました。
自分自身、マーケティングの仕事をして、かつキャリアについても論じているので「世代」の問題には向き合ってきたつもりです。ただし、ちょっと過剰だった点もあったな、という反省も含めて書いてみました。
そういう意味では、人材論という面とメディア論がゴッチャになったような切り口です。「世代を分ける」のではなく、「どの世代が、その時の世代論に影響を受けたのか」という議論をしてみました。
この本は「大ぶろしきを広げて、小さく畳む」という試みをしています。
前半は、「世代論がどうして生まれて、どのように変質したか」という視点で捉えています。後半では「では今の職場でどうすればいいんだろ」ということで、これは自分自身が若い社会人や学生と話してきたことを中心に幾つかのケースを書きました。
章立ては以下です。
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はじめに 世代論という情報戦
1章  若者論というノイズ
2章  世代ラベリングを解体する
3章  変質した世代論
4章  就活に作られた世代
5章  職場に流れ込む「煽り」
6章  手探りの対話から
7章  楽しいタテ社会を作る
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という感じで、いきなり「ですます調」のエントリーでした。関心のある方は、ぜひご一読を。
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