マクロミルとヤフーバリューインサイトが経営統合の協議を始めたという。
統合や合併には「攻め」と「守り」のケースがある。「攻め」というのは、古くは新日鐵の誕生(イヤ本当に古くてすまない)や、トヨタがダイハツや日野などをグループ化していったようなケースだ。海外企業との競争力を向上させたり、短期間で製品バリエーションをそろえることが目的になる。
近年の日本では圧倒的に「守り」のケースが多い。「合併でもしなければ生き残れない」というわけで金融から百貨店、素材メーカーなどはこの手のケースの代表になる。
今回のリサーチ2社も「守り」の統合ということだろう。理由は2つある。
1つは昨年12月の決算数字が両社ともマイナスになっていることだ。(マクロミルは第2四半期)市場が縮小に向かっている中で効率化を進めたいということだろう。
もう1つの理由は、数字に出ていない問題が発生していることだ。
別にネット調査は信頼性が低い、ということではない。ネット調査の品質は年々向上して、安価でかつ一定の信頼のできるデータを入手できるようになった。
品質・価格・迅速性。これらを満たしているのに、なぜ問題なのか。何だか、書いているうちに当初の予定と気が変わったのだけれど、この業界、何だか今の牛丼屋業界と似てるんじゃないか。

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昨日、花見した人いますか?あ、何人かいますね。前から計画していた人は?いないか。どうして?そうだね、この土日まで持つと思わなかったんでしょうね。
そりゃそうだよな。たまたま気温が低くて散らなかったようなものだから。僕も見に行ったけど、もう露店が出ていないんだよね。
これって、ビジネスチャンスを逸しているよね。桜が二週にわたって持つという「変化」に対応できない。環境変化に対応した人や店は、きっちり利益上げているわけ。
今日はマーケティングの講義なんだけど、まず大切なのはこの「環境変化」をどれだけ先取りできるか、ということ。そして、今年の桜のようにその状況は常に変化する。そういう情報に敏感にならないといけない。
で、それ以前に考えなきゃいけないことがある。桜が咲くと、何が売れる?そうだね。酒が売れるよね。みんな花見で酒を飲むから。
でも、普通木の下で昼から酒飲まないよな。桜が咲いているから、昼から飲む。別におかしくない。
でも桜が散ったら違うでしょ。単に「昼から公園の木の下で酒を飲むダメな人たち」でしかない。つまり日本人にとって桜の花というのは「この下で昼から飲んでもいいよ」という記号なんだよ。こんな花ほかにないでしょ。ヒマワリの下で酒盛りしてたら、やっぱ変な人だし。
マーケティングっていうのは、この「桜の花」にあたるものを創造することなんだ。つまり、「そのものを買う理由(動機)」を提供してあげるということ。
「お酒を買ってください」と連呼して安くするのは「セールス」。マーケティングは、この「桜の花」にあたるものを考えること。
マーケティングって何だろう?と思ったらこの花見のことを思い出してほしい。
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本日、とある会社の新人に朝からマーケティングの講義。冒頭に話した内容を再現してみた。



池田紀行さんより「キズナのマーケティング」を献本いただいた。 ソーシャルメディアマーケティングの思考と実践がバランスよくまとまっている。「今」を切り売りする本が多い中で、「過去と今と未来」へのラインが描かれている。そんな印象をもった。 個人的に一番気になったのは、最後のところだ。「これから、真の人間マーケティングが始まる」ということに尽きる。 別に今までは「非人間マーケティング」だったというわけではない。しかし、この15年ほどはテクノロジーの波の中で、マーケティングに関わる人がいろんなことを見失っていたと思う。自分自身を振り返ってもそうだ。 少し長い眼で見てみよう。1980年代から、広告表現はある意味の「全盛期」を迎えた。表現自体が一人歩きして、アートとしてもてはやされた。この時代をメディアとの関連で見ると興味深いことがわかる。 75年ににカラーテレビの普及率がほぼ90%を越えて、80年までにほぼ100%に達する。そして、テレビと新聞の広告費が逆転したのが76年。それ以降、テレビと新聞の広告費の比率は35:30くらいで安定する。 テレビがメディアの王者として磐石になり、新聞も一定の影響力を保つ。表現のインフラが安定したことは、二重の意味でクリエイティブの隆盛に影響した。1つはクリエイターが、表現自体に専念できること。もう1つは広告代理店の経営が安定して、コミッションの収益により、クリエイティブの収益性を補完できたことだ。 この安定は90年前後に大画面テレビが登場(”画王”とか覚えてますか?)することで隆盛を迎える。 やがてバブルの崩壊とともに、メディアの変革が起きる。1995年はマイクロソフトの新OSとインターネットがインパクトをもたらした。新世紀に入る頃にブロードバンドや携帯からのネット接続の時代になった。 このように振り返り80年から「メッセージの15年」「メディアの15年」を経て、「次の15年」の境界線に立っているのかな?と考えると「真の人間マーケティングが始まる」というのは納得感が高いのである。 ことさらメッセージとメディアを分けることは、違和感もあるだろうけど敢えてこう書いた。実際にマーケティングや広告関係者の関心には偏在があったと思うし、そもそも広告代理店の組織が分化を放置していたところもある。 あとは、人の問題だ。自分の領域を固定しないで飛び出て行く人どうしが、何かを生む。まずは自分自身という人間を「拡張」しなくてはいけないのだろう。 池田さんの本には、そのヒントがたくさん詰まっている。



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会社にいた頃「これからは”デジタル”と”グローバル”だ」と方針で言われたのは95年頃だった。「サービスのフィーで稼ぐ」と言われたのは入社直後なので、さらにその10年前になる。
これはどの広告代理店も似たようなものだと思うのだろうけど、一体、あの号令は何だったのだろうかという気がする。
紺屋の白袴、という言葉がある。紺屋、というのは染物屋のことなんだけど、それなのに自分の袴は白。プロは人の面倒は見るけど、自分のことには気が回らず。医者の不養生、と似たようなものか。
広告代理店もそういうところがあって、よそ様の会社に言っては「ビジョンを作りましょう」とか「経営理念を」とか能書きを垂れるのだけど、自社のことになると結構ウニャウニャである。
もちろん、それらしきものはあるんだけど、それはビジョンというより「キーワード」に過ぎないことが多い。
ビジョンと、キーワード。これは全然違う。
ビジョンは、見通し。さあここを目指すぞ、という具体性がある。そこに向かってメンバーが動いていく。
キーワードというのは、文章を読むときの「手がかりになる言葉」だ。もう少し広い意味で使うと、「世の中の動きを読むとき」の手がかりになる言葉。
しかしキーワードは、あくまでも「手がかり」でしかない。
それなのに、経営者がとりあえず「キーワード」だけを投げるというのは、リーダーとしては何も言っていないのだから、「後はみんなで考えてね」と言っているに過ぎないわけで。
デジタルもグローバルも、フィーもソリューションも、考えてみればすべては「キーワード」だ。手がかりに過ぎない。
しかも、その手がかりは誰でも知っている。
別に広告の世界に限らない。リーダーが、ビジョンを語っているようで、実は「キーワード」しか語っていないような企業はたくさんある。これは船でいえば、ジワジワ浸水が始まっている状態だ。乗組員の方は気をつけた方がいい。



月曜日までに、単行本の原稿を入れる。まだ、文章3分の1も書いてない気がするのだけれど、この本は図表がやたらに多いので、それを仕上げると文章量はそれほどでもないので、できるはずだ。(多分)
その中で、日本の人口動態をザックリ論じる章があって、こうしたデータは日々ストックしておいて、発表の時に更新する。大学生のアルバイトが歴代優秀で、フォーマットができて引き継がれているのだけれど、今回自分で整理して改めて気づいたことがある。
世帯数の数が、急増しているデータを見つけたのだ。何と、今の日本の世帯数は5,000万を超えているらしい。
僕の感覚では、たしか4,800くらいで微減だと思ったのだけれど、それは厚生労働省の国民生活基礎調査のデータがアタマに入っていたからなのだ。
ところが、今回見た総務省の最新統計は世帯数は5,287万である。
50万違うならともかく、500万違うのは何だ?と。
こういう時は、電話をするに限る。官公庁のデータは、かならず問い合わせ先が載っているし、かなり親切に教えてくれるのである。
結論からいうと、集計方法が違うようだ。おもに総務省の方に教えてもらったのだが、こちらは全国の住民基本台帳を元に毎年集計をしている。その際、会社の寮や二世帯住宅の家でも、住民票を元にしてカウントするので世帯の定義が細かくなる。厚労省のデータは抽出調査を元にした推計で、かつ寮などは1つの世帯だと言う。
そもそも日本の人口も複数のデータソースがあって、総務省の先のデータは「自治行政局」のものなのだけれど、同じ総務省の統計局が出した人口推計は違う数字なのだ。
別に人口論の本を書くわけではないのだけれど、いや、驚いた。
さて、本当に原稿はあがるのか。今夜は、会社の同期会という入社24年ぶりのイベントがあるので、そちらにも行くつもりなのだ。
とりあえず、統計はケリがつきそうなのだけど。
#こちらのリポートのページに「twitterの価値構造仮説」をPDFで掲載しています。ご覧ください。