新入社員が職場に行って戸惑うことの一つに、「なぜそのようなやり方で仕事をするのか分からない」という問題がある。

この原因は2通りあって、「不合理な方法が慣習となっているためにまともな新人が疑問を抱く」というケースと、「単に新人の理解力が低い」という場合がある。で、後者の場合は、彼らが賢くなってもらうのを待つしかないが、問題は前者のケースなんだな。

職場というのは長い間に、どうでもいいような仕事の習慣が雪だるまのようになっている。雪だるまなら、まあ可愛いし放っとけば溶けるからまだいい。なんかもっと、ドロッとして硬化したような成分のような感じの「何か」だ。

新入社員というのは、結構純粋な嗅覚を持っている。だから、彼らの疑問は結構正しい。そして、時には「なぜですか?」と質問する。

こういう時に、ちゃんと理由があれば答えられる。新人から見て不合理なことにも、ちゃんと背景があれば「聞いて納得」ということになる。

一方で、「なぜですか?」は痛いところを突くこともある。そうなると、「いちいち聞くな」「いいから言った通りにやれ」ということになる。何かダメな部活のようだが、それと同じくらいダメな職場も多い。 >> 「なぜ?」を嫌う職場は、気を付けた方がいい。の続きを読む



暑い週末だった。

日曜は17時からの渋谷らくご、月曜の午後はインバルと都響で「大地の歌」。考えてみると、「海の日」に「大地」だったのか。とはいえ、この日にドビュッシーをやるようなベタな企画はさすがにないんだろう。

都内の道は空いていて、東京ならではの連休だった。

で、愉しめたのが渋谷らくご。どうも行きたい時と日程が合わずに初めての経験だった。演目は、こんな感じ。

瀧川鯉斗「転失気」

立川こしら「壺算」

春風亭柳朝「お菊の皿」

春風亭昇々「千両みかん」

鯉斗はこの演目を“修行中”という感じで、柳朝はやや大人しい。というわけで、こしらと昇々が場をさらった感じだった。たしかに、おもしろい。そして、よく考えている。 >> 7/16渋谷らくご~こしらと昇々の勢いが楽しい。の続きを読む



考えてみると、「美術と音楽」というのは授業科目では対になっているようだけれど、普通に生活している時の存在は結構違う。

最近になってまた事情は違うかもしれないが、多くの人にとって音楽は日常的な愉しみで「好きなミュージシャン」と言えば、一人は挙げられるだろう。一方で「好きな美術家」をすぐ言えるかというと、それは人によると思う。

「ミュージックステーション」と「新日曜美術館」の違いとも言えるし、「カラオケ行こう」と言えば人は集まるけど、「じゃあ二次会で絵を描くか」という話は聞かない。まあ、そういう状況設定に無理があるのは承知なんだけど。

で、最近になってというか、もう10年くらい「アート」は賑やかだ。かつては、ミドルというかシニアの女性が印象派の展覧会に群がっていたイメージだったけれど、いまは年代も幅広い。

もしかしたら百貨店美術館がなくなって、展覧会としての企画をきちんと考えるようになったのかもしれないし、ネットでの広がりも影響しているんだろう。 >> 草間彌生とミュシャに見る「大きさの絶対値」。の続きを読む



フィルハーモニア管弦楽団演奏会 指揮:エサ=ペッカ・サロネン

2017年5月18日 オペラシティ・コンサートホール

ストラヴィンスキー:葬送の歌 op.5 [日本初演] マーラー:交響曲第6番イ短調 《悲劇的》

サロネンを嫌うという人はあまり聞かないが、熱烈に好きという「信者」が多い印象も薄かった。来日した時の演奏を聴いた経験だと、「冷静なようでいて、気がつくと相当盛り上がる」タイプという感じで、一度聴くとファンになる人はいるんじゃないか。

というわけで、マーラーの「悲劇的」は相当期待して早めにチケットを入手したのだが、同じような人が多いのか、満員御礼。

男性一人の客が多いという、まあ後期ロマン派にありがちな雰囲気だ。

「悲劇的」は、なぜか最近よく聴く。2月のN響、3月の音楽大学フェスティバル・オーケストラに続いて今年3回目だ。

そして、圧巻。冒頭は、オケの調子も「ならし運転」的な感じもしたけれど、呈示部をリピートしたあたりから暖まってくる。サロネンは、結構左右に振れつつ弦には細かく指示を出すが、菅は「基本お任せ」という感じだ。もちろん、よくわかっている手兵だからスムーズに鳴る。
オペラシティのホールは、こうした大編成の曲だと”ウワンウワン”と響きすぎるという人もいて、たしかにそうした傾向はあるけれど、この日は気にならない。オケがコントールしているのだろう。 >> 建築家で大工で、そして解体屋。サロネンのマーラー『悲劇的』の続きを読む



(2017年4月21日)

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観世能楽堂が、開場した。銀座にできた「GINZA SIX」の地下となる。21日に行われた、開場記念の祝賀能に行ってきた。

正式名称は、「二十五世観世左近記念観世能楽堂」であり、銀座の地へは江戸時代以来の「帰還」ということになる。

祝賀能ということで、「翁」に始めり、休憩を挟んで、仕舞から「鶴亀」、さらに仕舞と続き「高砂」となる。

祝賀能ということもあり、個別の評などを書くのは野暮だとは思うが、「翁」の三番叟をつとめた野村万作には息を呑んだ。鑑賞するというより、舞う姿を呆然と眺めているだけで時間が経っていく。

いったん休止して面をつけるまでの間に、静かな会場に荒い息遣いが聞こえて、控える萬斎の表情が心なしか硬くなったようにも感じたが、見事に演じられていた。

いずれにしても、またのない機会だったが、こうした舞台についてはやはり言を要するものではないのだろう。

というわけで、能楽堂自体の感想などを簡単に。

まず、ホールの立地は銀座通りの面した建物の地下3階だ。通りとは反対に海側の方からだと、エスカレーターでスッと入っていける。もちろん上階の施設とも連絡できるが、この日のように混雑していても静かに訪れることができる。 >> 観世能楽堂の開場、祝賀能へ。の続きを読む