「無限」という概念は、ちょっと考えると気が遠くなり、さらに考えると頭がクラクラする。もう、それが文系脳の限界だと思っていた、、だから、このタイトルを見ると、もうそれだけで不安になるんだけれど、物理学者である著者もその辺りはちゃんとわかっているようで、第一章は「気が遠くなる大きさ」となっていて、ちょっとホッとする。

そして、「無限の本当の意味を考えると頭がクラクラするような結論に導かれる」と書かれていて、多分この「クラクラ」は僕のクラクラとは水準が違うような気がするのだけれど、このタイトルの問いは、それくらいの難題だということだろう。

完全に内容を理解しないで評するのも変だとは思いつつ書いているんだけど、この本は「無限」という概念との付き合い方やその歴史が述べられていて、それがとても興味深いのだ。そして「無限」の概念の扱い方が物理学と数学で異なることも、初めて知った。

「数学の世界では別だが、物理学では普通無限大というものを有限の数が大きくなっった極限として扱う」ということなのだ。その後の説明にあるように、たしかに物理学は測定できる数値を求めるのだから無限の扱い方が数学とは異なる。

一方で、数学的な実無限という視点だと、別の議論が起きてくる。たとえば「自然数全体の集合」と、「整数全体の集合」を比べてその要素の数はどちらが大きいか?というテーマが出てくる。

整数はゼロも負の数も含まれるので、「一見すると整数全体の方が自然数全体よりも多そうだ」ということになりそうだけど、そうはいかない。 >> 【書評】『宇宙は無限か有限か』というクラクラする話。の続きを読む



昨年夏に出た本なんだけど、タイラー・コーエンの『大分断』は、現代が”The Complacent Class”で、これはサブタイトルのように「現状満足階級」という意味だ。この本では、こうした階層が米国で増加して、その結果過去に比べて「おとなしく」なっていて、実は起業も減り、移住や転職も少なくなり、暴動も減って、つまり全体として「おとなしく」なったことへの危惧が論じられている。

そしてよりダイナミックな社会として中国が比較対象になるわけだけど、じゃあ日本はどうかというと、わざわざ日本語版序文でしっかり言及している。「日本は『現状満足階級』の先駆者だ」と書かれていて、もうこれは褒め殺しかと思ってしまう。

日本の経済的快進撃は止まっても、レストランの水準は上がり、デザインも洗練されたという。アッと思ったのは「クラシック音楽愛好家のレベルの高さでも日本に勝る国はそうない」という記述だ。おそらく筆者は日本に来てコンサートを聴く機会でもあったのだろうが、これは来日演奏家が世辞ではなく言うこともある。

まあ、褒め殺し感はさらに強まるんだけど、それはそれとして、この本で気になったキーワードの1つが、「カウンターシグナリング」という言葉だ。

説明は、こんな感じ。

「アメリカの富裕層は最近、いわゆる『カウンターシグナリング』により自らの社会的地位をアピールすることが多くなった。カウンターシグナリングとは、『わざわざ社会的地位をアピールするまでもない』ことをアピールする行為のことだ。」 >> 『大分断』の「カウンターシグナリング」という言葉が気になる。の続きを読む



このタイトルを目にした時、どんな感想を抱くだろうか?悲しみや笑い、あるいは怒りなどの情動は、外からの刺激に対して内から沸き起こり、それはまた、「ある程度」共有できるものと考えるのではないだろうか。

芝居や映画を見て、同じようなところで笑い、あるいは涙する。それは海外の作品だったり、数百年前の脚本であったりもする。そういう時に、ついつい人間の情動は時代や国境を越えた普遍性を持っていると思うこともあるだろう。

ところが、注意深く見れば笑いの沸点が低い人もいれば、いつまでもムスッとしている人もいる。悲しい場面でも、全員が泣くわけではない。

いろいろと思い出していけば、そうした情動は実体験や、触れて来た文化などの文脈によって決まっているのではないか?と感じることもある。

本書は、「古典的情動理論」に真っ向から異を唱える。この古典的情動理論は「怖れ・怒り・悲しみなど人間の情動は普遍的である」という考え方だ。その根拠になった実験は、いろいろな表情の顔写真を見せて、その顔写真にもっともふさわしい言葉を単語の選択肢やストーリーと合致させるというものだ。

そこでは、研究発祥の欧米のみではなく世界のさまざまなエリアで実証されたという。

しかし、本当にそうなのか?実は何十年も権威をもってきたこのエクマンの実験については、昨年「日本人には合致しない」という研究結果も発表されている。

そして、そもそもこの古典的情動理論のフレーム自体に異を唱えて、「構成主義的情動理論」を唱えるのが筆者の立場だ。

情動はもともと人に備わっているものではなく、その文化の中で育まれていく。たとえば日本語の「ありがた迷惑」や、ドイツ語の「シャーマンフロイデ」に当たる言葉は英語にはなく、似たような例は世界中にある。

にもかかわらず、感情をいくつかに分類して、それが人間の本質であるという発想を強く批判する。 >> 【書評】『情動はこうしてつくられる』はマーケターにとっても大切な本。の続きを読む



この本、何がユニークかと言うと「現役の大学学部生による共著」ということで、著者は一橋大学商学部松井ゼミ15期生、で「松井剛編」となっている。松井さんとはとある縁があり、この本もご恵送いただいた。

サブタイトルが「若者はなぜ渋谷だけで馬鹿騒ぎをするのか?」となっていて、「なぜハロウィンか?」という問いと、「なぜ渋谷だけで?」という問いが立てられ、渋谷はもちろん、池袋、川崎と体当たりで取材をしつつ、複層的に解を探している。だから「祝祭論」でもあり「都市論」にもなりそうだが、彼らの専攻はマーケティングの消費者行動論なので、分析のフレームは、その視点で徹底されている。

徹底した現場主義の一方で、準拠集団、アーリーアダプター、アジェンダ設定などのテクニカルタームが飛び交い、ある意味消費者行動論を学びたい初学者にとってはいいテキストにもなるんじゃないかとも思う。

というわけで、「学部生が、よくこれだけ頑張ったな」と思いつつ読んでいて、ふと気づいた。実はこの本は「ハロウィンで騒ぐ若者」を分析しているようでいて、「いまの大学生」のリアルを映し出しているのではないか?

つまり、この本を読んだ人は「騒ぐ若者」を知るだけではなく、「それを冷静に見ている若者」を知ることになる。文化人類学研究の観察記を読んでいるうちに、異文化を知るだけではなく、その観察者の旅行記を読んでいるのと同じようなものなんだろう。

すると、この本は全く別の視点で「今の日本を浮き彫りにする」という、「意図せざる効果」を生み出しているんじゃないだろうか。 >> 【書評】『ジャパニーズハロウィンの謎』が意図せずに描いた”若者”のリアル。の続きを読む



すごく簡単に書いちゃうと、「ロシア革命後にモスクワのホテルに軟禁された伯爵が、何十年もそこで過ごす間の、さまざまな人間模様を描いた作品」ということになって、全然面白そうではない。

ところが実際に読んでみると、これが素晴らしい作品なのだ。派手さはなく淡々と進む滋味あふれる作品、という感じでもあるのだけれど、時代を追うにつれて、限られた空間の中で起きるドラマは予想を遥かに超えてダイナミックに動いていく。

もちろんフィクションではあるけれど、時代背景は当然反映されている。伯爵が軟禁されたのも革命という現実からの出来事とされるわけで、その後もスターリンからフルシチョフに至る権力交代がストーリーにも投影される。

そして、この小説では味と音楽が、とても大切な役割を果たす。レストランなどでの食事の描写はワクワクするけれど、もちろん料理の説明が達者だというだけではない。「食べる時間の愉しみ」が、これほど素敵な小説は早々ないだろう。

音楽については、「あ、これは作者がクラシック好きなんだろうな」と思う描写だけじゃなくて、やがてはストーリーを大きく揺るがしていく。これについては、読んでのお楽しみだろう。

というわけで、何だか紹介が難しい小説なんだけれど、米国では大評判の一作で映像化も予定されているようだ。

ちなみに、ミステリー好きな人には特に強く薦めたい。もちろん「ミステリー」に分類される話ではないんだけれど、巧緻な伏線とその糸の織りなしの見事さは、ある意味ミステリー小説的な技巧であるし、「オオ!」と唸らせる要因にもなっている。

さらに、装丁も素晴らしい。小説は基本的にはkindleで読むんだけれど、これは本として手元においておきたい。そんな気分にさせてくれる小説も久しぶりである。

あと、登場回数は少ないけれど、あの可愛い動物も出てくるので、あの動物が好きな人にもたまらないだろう。これは、書影をよく見ればすぐわかるはずだ。

読むだけで、幸せになれる。小説ってそういうものだよな、と読んだ人なら実感できるはずである。