哲学の歴史は、理性の歴史である。と、知ったかぶりようなことをいきなり書いちゃったけど、素人的には「まあ、そういうものなのか」と感じるのが普通かもしれない。

ところが、ちょっと考えると哲学者や思想家と言われる人は、「ギリギリのところ」で何かを考え続けていたのではないか?という感覚はどこかにある。作家でも、ドストエフスキーなどは、その「ギリギリ感」がもっとも強烈かもしれない。

本書はそのギリギリ感を「創造と狂気」という視点で編みなおした一冊なのだけど、本当に驚きの連続だった。こんな本は、そうそう読めるものではないと思う。

最近ビジネスの世界でも耳にするのがクレージー(crazy)という言葉で、辞書には「気が狂った」とあるけれど、それは「困ったこと」だけではなく「常識を超えた」というニュアンスでも使われる。

そして、西洋思想史でも「創造と狂気」を結びつける考え方はあり、本書ではプラトン・アリストテレスから、デカルト・カントを経て、ヘルダーリンを転回点としてハイデガー、ラカンそしてドゥルーズへと歴史を追っていく。

いままでも病跡学という研究はあり、そうした学問上の名は知らなくても、いわゆる天才たちの「病」を論じたような話は聞いたことも多いだろう。昨年楽しんだ『ゴッホの耳』などでは、彼の病についての議論も書かれている。ただし、本書はそうした研究をさらに一段高い視点で分析している。

そこでまずハッとさせられるのが「統合失調症中心主義」という言葉だ。 >> 【夏休み書評】『創造と狂気の歴史』の衝撃と納得感。の続きを読む



バッハ・コレギウム・ジャパン演奏会 
鈴木雅明(指揮)アン=ヘレン・モーエン(ソプラノ)マリアンネ・ベアーテ・キーラント(アルト)アラン・クレイトン(テノール)ニール・デイヴィス(バス)バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱&管弦楽)
2019年1月24日 オペラシティコンサートホール
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125「合唱付き」

 

鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンが「第九」を演奏すると聞いて、「これはすぐにチケットがなくなるだろう」と発売早々に慌てて買って心待ちにしていた。

オペラシティのホワイエは、どこか祝い事のようであり、どこかピリピリとした緊張感がある。でも、聴いてよかった。細かいことはいろいろあるだろうけれど、演奏者と聴衆が「もう一度この曲を確かめたい」という気持ちがホールに満ちていた。

こういうのが、コンサートの体験なんだなとつくづく思う。

ちょうど、この直前に一冊の本を読み終わっていた。かげはら史帆『ベートーヴェン捏造』(柏書房)だ。ベートーヴェンの「秘書」であった、アントン・フェリックス・シンドラーという男を追った話である。

クラシック音楽に少々詳しい人なら、ベートーヴェンの交響曲第5番が「運命」と呼ばれるのは俗称であることは知っているだろう。海外のディスクにdestinyとは書かれていない。もし書いてあれば、それはおそらくゲームのはずだ。

ただ、そう言われる由来が「運命はかくのごとく扉を叩く」と本人が言ったから、というのは事実だと思っていたかもしれない。

ところが、そうではないらしい。だって、その根拠となったシンドラーは、どうやら相当な嘘つきで、ベートーヴェンの会話帳を改ざんしていたことが明らかになっているのだ。

最初に指摘されたのは、1977年だからもう40年も経つ。このシンドラーという男の心の屈折については、この本が詳しいのだけれど、彼はベートーヴェンの晩年に彼の元へと近づき、第九の初演に東奔西走したのは事実のようだ。 >> BCJの第九と、『ベートーヴェン捏造』の彼方にある真実。の続きを読む



「2018年読んだ本」を先月後半に月別に書いていたのだけれど、6月で力尽きたまま年末でダラダラしたこともあり、実質仕事始めの明日までにとりあえず後半分をまとめておこうと思った。

何といっても、半年分なので厳選して紹介。

キャシー・オニール『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』(インターシフト)は、ちょっとおどろおどろしい邦題で損してるかもしれまいけど、原題のキーになる概念はMath Destructionで、「大量破壊兵器」のmassをmathにかけている。つまり、「数学的な破壊」ということだ。重要なのは「フィードバックループ」という概念で、たとえば「犯罪多発地域」というデータで警戒を強化すると、そのエリアの人は些細なことでも検挙されて……のようなループのこと。これは、広い分野に当てはまる。とても大切な本だと思うし、強くお薦めしたい

夏に読んだミステリーはチューダー『白墨人形』(文藝春秋)に、若竹七海『錆びた滑車』(文春文庫)で、後者は個人的に大ファンの女探偵・葉村晶シリーズの最新刊で、相変わらずの構成力と味わいだった。前者は年末のベスト10などであまり高い評価を受けていないのが謎。上位の中にも、「なんだこれ」が多いわけでこの辺りはまあよくあるんだろうけど。 >> 【2018年読んだ本から/後半まとめて】改めて思い起こす『うつ病九段』の深さ。の続きを読む



まだ、4月ではないか。何かこの月はあまり読んでなかった。というかことに新刊が少なくて、かつ仕事がらみの調べ物が多かったんだろう。

大澤真幸『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(KADOKAWA)は、ブログのこちらで既に書いているけれど、結構気になって読まれた人も多かったようだ。ことにメディアや広告の仕事をしている人にとっては気になる内容だったんだと思う。

何であまり読んでないのか?というと忙しいこともあったけど、幡大介『騎虎の将』(徳間書店)の上下巻が結構な大部だったからかもしれない。でも、これはちょっと意表を突く切り口の時代小説だった。

主人公は太田道灌。東京で生まれ育った人であれば、学校でも必ず教わるだろう。「江戸」を開いたと言われる人で、旧都庁に銅像があった。新宿に引っ越しの時にもっていったのか、それにしてもどこにあるんだと調べたら国際フォーラムに残したらしい。

いずれにせよ、室町時代の関東を代表する人物の1人だけれど、そもそもこの頃を舞台にした小説自体が少ない。小説、そしてドラマや映画でもあまり人気のない室町時代であるが、最近はジワジワと関心が高まってる気もするし、この作品はなかなか面白いところに目をつけたと思う。

変わった時代といえば、澤田瞳子『火定』(PUP研究所)は、奈良時代を舞台にした疫病との戦いを描いている。その疫病は天然痘。目の付け所はもちろん、ストーリーの展開や人物の描きこみなど、平城京の時代に引き込んでくれる小説はそうそうない。 >> 【2018年の本から/4月】奈良時代や室町時代の小説が面白くなってきた。の続きを読む



さてさて、3月になった。

リストを見てみると、そうだそうだ奥泉光『雪の階』(中央公論新社)ではないか。これは、そうとうやられたなあ。昭和初期を舞台にした長編だけれど、ミステリーというには収まりきらないスケールで、歴史小説というにはファンタジックだ。1年を振り返っても、フィクションでは一番響いたかな。詳しくはすでに、こちらのブログに書いてある。

ノンフィクションではヴィンセント・ディ・マイオ『死体は嘘をつかない』(東京創元社)がよかった。筆者は親子2代にわたる検死医で、多くの犯罪に立ち会い、裁判にもかかわったきた。単なる「犯罪小説の裏側」にとどまらずに、事件を通じて米国社会の構造が浮かび上がって来る。検死に関わる話は小説にも多く、「またかな」という気もしたけれど、この辺りの複層的な厚さが類書とは全く違った。

佐藤賢一『遺訓』(新潮社)は、西郷隆盛を描いているのだけれど、主人公は沖田総司の甥であり、カギを握るのは庄内藩に連なる人々。佐藤賢一ならではのスケール感があり、なんか「日本の歴史専門です」みたいな小説家は、ちょっとつらいんじゃないかな、と余計な心配をしてしまう。 >> 【2018年の本から/3月】『雪の階』から新訳の『アンナ・カレーニナ』まで。の続きを読む