【読んだ本】鹿島茂『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)

大学を卒業して入った会社の本社は神保町にあった。住所表記は神田錦町だが、ざっくりと神保町エリアだ。1ヶ月半の研修の後に丸の内で働くことになり、その後はしばらく疎遠だったが30歳の頃に神保町のオフィスの部署に異動した。

それから3年近くは、神保町勤めだったが、最高の環境だった。仕事が研究開発だったので書店に行くのは「仕事」だ。毎日のようにウロウロして、喫茶店に行ってた。そのうち、さすがに忙しくなってきたが、それでも自分のペースで働いていた。

この本は明治以降の、神保町の「書肆街」ができていく過程を追っているのだが、街の成り立ちを通じて、日本の知的文化の形成を追っている本でもある。

だから書肆街の話にならず、わき道にそれるのだがそれがまた面白い。東京大学の前身、開成学校から、明治、法政、中央、専修などが創立される過程にある種の必然性があることがわかり、またそうした学校と古書店街との縁もよくわかる。 >> 古書店街に未来はあるのか『神田神保町書肆街考』【書評】の続きを読む



「食べログレビュアー」という人がいるようで、そういう人のプチ・スキャンダルが話題になっていた。どんな領域でも、頑張ればそれなりの評価を得られて、チヤホヤされて、きっちりと落とし穴がある。素晴らしい自由主義!

どこか、気になる店があって情報を知りたくて検索するとたいてい「食べログ」が上位に出てくるが、できるだけクリックしない。あのサイトのレビューの文章を読みたくないからだ。

そこには、「できれば文化人になりたい」ような人のこじれた承認欲求が漂って、どこか物欲しげだ。いや、「物が欲しい」というより、「認めて欲しい」ということかと思っていたんだけど、まさか本当にモノをもらっていたそうだから、なにか哀しい。

以前も書いたけど、どうもあのようなレビューの文章には哀愁が漂っている。

そもそも、「食の批評」のカテゴリーは成り立つのか。アートや音楽、あるいは文学のようなものと、「食」は異なる。そもそも、食がなくては生きて行けず、あるいはその糧を手に入れることができない人は、世界にたくさんいる。

そういう中で、食を評することにはちょっとした後ろめたさがあってもいいのではないか。だから、多くの作家が食について書いても、彼らはそれを日記のような体裁にする。食のみをああだこうだと書くことは、どうしてもさもしくなるからだろう。 >> 食べログと「味覚成金」。の続きを読む



【読んだ本】シェリー・タークル著/日暮雅通(訳)『一緒にいてもスマホ SNSとFTF』(青土社)

新しい道具が普及するときは、抵抗にあうことが多い。

クルマも電車も忌み嫌われていたし、多くの電気製品だってそうだ。デジタル関連のデバイスも同様だけど、一定以上普及するとその道具を称賛する人もあまり見なくなる。

スマートフォンが出たときは、熱烈な興奮があったけれど、いまは当たり前の道具になった。

そして、どこかで「これでいいのか」と思っている人も多いのだろう。だから「スマホ中毒」「スマホ依存症」という言葉が出てくる。英語ではsmartphone addictionで、つまりこれは世界中で注目されているのだ。

だから、米国MITの研究者がこうした本を書くのも納得できる。彼女はもともとはネットの可能性を賛美していたが、考えを変えるようになった。それはTEDにおける彼女のビデオを見ればわかるのだが、この本はそこに至るまでの研究がまとめられている。

原題は「RECLAIMING CONVERSATION ~The Power of Talk in a Digital Age」で、邦題のFTFはFace to Faceだ。 >> 『一緒にいてもスマホ』というタイトルが気になったら、ぜひ。【書評】の続きを読む



【読んだ本】御厨貴他編『舞台をまわす、舞台が回る 山﨑正和オーラルヒストリー』(中央公論新社)
オーラルヒストリー、つまり口述により歴史を検証するという方法論はすっかりお馴染みになって来た感じもして、その第一人者の御厨貴氏が3名を加えたチームで挑みかかった相手が山崎正和氏だ。

山崎正和の名は、若い人には既に縁遠く、また彼を知る世代にとっても、人によってその印象は相当に異なるだろう。劇作家にして批評家であり、大学の先生でもあったが政治にもまた深く関与していた。また「柔らかい個人主義の誕生」はマーケティングにおいても、重要な著作だ。

いま、専門領域の研究者はたくさんいるが、「知識人」あるいは「文化人」と呼べる人は思いつかない。氏の政治的立ち振る舞いは穏健な保守で、真の「リベラル」と言えるだろう。それにしても共産党まで含めた勢力が、いつの間にリベラルとか自称するようになったのか。そう名乗らざるを得ない革新勢力の迂闊さと、保守のしたたかさがまた浮き彫りになってくる一冊だ。

満州で過ごした幼年時代の凄絶さや、敗戦後の混沌。その話を読むだけで、知の土台となる経験の厚さがわかる。そして、「世阿弥」で注目を集めたのちに、時の佐藤総理の首席秘書官、楠田實から声がかかる。

それは学園紛争の時代であり、彼がその後もブレーンであったことはよく知られているが、本人が語る内容を他の資料と比べていくことで、改めて全体像もわかる。この辺りは相当に面白く、一級の戦後史だ。 >> したたかな保守と、迂闊な左翼。山崎正和が語る一級の戦後史『舞台をまわす、舞台がまわる』【書評】の続きを読む



【読んだ本】穂村弘「野良猫を尊敬した日」(講談社)
店で日本酒を頼むと「常温」という言葉を聞くことがある。

とある店で「いつ頃からだろうか」という話になった。あまり日本酒の人気がない1980年代に、300ccほどのボトルに入れた「冷酒」を出すようになり、それで普通の冷や酒(ひやざけ)を「常温」というようになった気もするが、いまだに居心地が悪い。

このボトル入りの「冷酒」は、「とりあえず冷やせば飲みやすいだろう」的な感じで大手メーカーが作っていたりして、日本酒好きはあまり選ばない気もする。

ただし、80年代後半くらいから「地酒」をそろえる店が増えた。そういう店は、一升瓶を冷蔵庫で保管してあるので、大概のものは冷えて出てくる。グラスで飲むようになったのも、この頃だ。

僕が会社に入った頃、新宿三丁目によく行った店がある。というか、今でもある。そこの主人が店をやめて、それがきっかけでしばらく行かなかったのだが、最近行ったら雰囲気は変わってなかった。 >> 自分のことをきちんと書けるってすごい『野良猫を尊敬した日』【書評】の続きを読む