などということを、54歳にして書くことになろうとは思わなかった。けれど、まあいろいろ曲折があって「50歳」をテーマにした本を出すことになったのである。
今までの本は書下ろしだったのだが、これは日経ビジネスオンラインに連載した「ここでひと息 ミドル世代の「キャリアのY字路」を単行本にしたものだ。
文字通り、「ミドル世代」という曖昧なキーワードで、気分的には”R40”の感じだったのだけれど、書いたものをまとめて編集の人と話しているうちに、キーワードは「50歳」なんじゃないかという話になった。

というわけで「50歳」を書名に入れることを決めて、当初は連載タイトルに近いものとかいろいろと検討したんだけど、何だか予想もつかないことが起きたりして、相当に難航した。
そこで僕が軽口のように「なんか、”~の衝撃”って日経ビジネスっぽいいですよね。だから、”50歳の衝撃”って、いや~わけわからんか。ハハハハ」と言って、その日は編集の方と別れた。

そして、翌日編集の方から「決めました」というメールが来た時には、エエエ!?と思ったのだがもう時間も代案もなく、8月のお盆前から店頭に並んだ。

そうしたら、休み明け早々に連絡をいただき、重版が決まったという。ありがたいことだが、広告もまだだし、僕もブログにすら書いてないし、ネット上で話題になっていることもない。店頭で気にされるとしたらおそらくタイトルだろうから、なんだか瓢箪から駒のような発想もよかったのかと思っている。

母に見せたら「これ、どういう意味?」と言いつつ「私も”80歳の衝撃”とか書こうかしら」と言っていたので、たしかに「意味は分からんけど気にはなる」ということなのかもしれない。
中身は、ちょっとしたエピソードを元にしたフィクションだ。連載時から「あれはうちの会社でしょ」などと、いきなり旧友から言われて驚いて、そういうことは何度もあった。ただ、「ネタのもと」はたしかに事実だけれど、もちろんストーリーは作っている。それでも「うちでしょ」みたいな感覚になるなら、それは「うまくいった」としか言いようがないんだけど。
ちなみに、家の猫に見せたけど、ご覧のように関心を持つことはなかった。15歳になったばかりなので、仕方ないんだろうか。

※追記:気になって調べると、ここに来て「50歳」をテーマにした本がいろいろ出ているようだ。江上剛氏の『会社人生、五十路の壁』はスタイルはまったく異なるけど、切り口は似ているところもある。ちょうど、10歳上にあたり波乱万丈の50代を送られた方だけれど、さすがに経験が深いなあと感じた。

 

 

 



なんか身の回りで、転職とか独立とか、いろいろとすごい。6月30日付けだけでいろいろあった。個人的な観察からの話なので、もちろんちゃんとしたデータじゃないんだけど、他の人に聞いても「結構動いている」という。

6月末というのは、賞与も出て、株主総会も一段落して人事・組織が動く会社もあるので、毎年人が動くけど、いよいよ「人材流動化」から「人材大戦争」になった気がする。

つまり、人が動く、というよりも企業側の危機感がものすごく高まっているんだろう。

僕の周辺だから、メディアや広告周りはたしかに多いんだけど、それだけじゃない。年齢幅も相当広くて、還暦の人も思い切って動く。

むしろ、「今どき人が動いてない会社はまずいんじゃないか?」と感じるくらいだ。

背景には人手不足とかいろいろあるんだろうけど、ちょっと違った視点で感じたことを書いておきたい。

■ 若い会社が「分厚く」なって、かつてのベンチャーが硬直してきた

ここ10年くらいに創業した会社でも、広く人を受け入れる「厚み」のようなものを感じる。だから若い人だけではなく、ある程度キャリアを重ねた人でもそうした会社に転じる。

ベンチャーとか外資とか、そういう認知スキーマすら気がついたらなくなっている感じだ。

一方で、「メガベンチャー」のように千人単位の社員がいる企業からの流出も目立つ。もはや若い会社ではなく、気がついたら「普通のオーナー企業」で経営者とその周囲が硬直化していれば、若い人にとっては「上がつかえてる」感じだし、むしろ財閥系のほうがオープンに見えることもあるみたいだ。

■ 「働き方改革」で会社の“底”が見えた >> 「人材流動化」から「人材大戦争」になってきた。の続きを読む



NEWSPICKSが広告を出していて、「さよなら、おっさん」というキャッチコピーは、まあ、キャッチーだ。「おっさん」というのは、「この国の凝り固まった価値観やルール」と書かれているけれど、まあ実際には一定年齢以上の男性だろう。

やっぱり、おっさんはおっさんだ。

実際に、おっさんは多い。これは総務省の人口推計に出ている2017年10月1日の人口ピラミッドだけれど、40代後半が最大勢力だ。第1次ベビーブーマーも、まだ相当に多いが70歳を過ぎると絶対数はジワジワ減っている。

ただ、それはまあ以前からわかっていたことだけど、僕は別のことに興味がある。

「おっさん」は、「おじさん」が口語化したというか、促音便というか、それはまあいい。

では、女性で「おっさん」に当たる言葉は何か?「おばはん」かもしれないけど、ちょっと違う。そもそも、「おばさん」だって、昔は揶揄されていたではないか。

あ、そうだ。気がつかないうちに「おばさん」は着実に減っている。

かつての「おばさん」は、立派な体型と、タフな神経で日本を席巻していた気がする。福袋の前では、ラグビーのフォワード並みの突進力を見せ、連休の高速道路のサービスエリアでは男性トイレに侵入する。

もちろん、今でもそういう人はいるのかもしれない。でも、記号としてのおばさんはとても弱くなった。そうだ、かつてのユニクロのCMで「返品可能」をアピールするのに、すごいおばさんが出てきた。いまでもこんな動画が出てくる。20年以上前のようだが、あの頃は記号としての「おばさん」は十分健在だった。 >> さて、「おっさん」はどうなるのか?の続きを読む



人にとっての、年齢の「節目」はどこにあるのか。

大体の人は、30とか40とかキリのいい数字を思い出すかもしれないし、十進法の呪縛みたいなものとしては、そんな感じだろうか。年男・年女とかもあるけど、まあ10歳刻みなんだろうな。

そんな中で、最近気になるのが「50歳」という節目だ。連載していた記事の関係もあるんだけど、自分自身はもうとっくに超えていて、来年には半ばとなる、

一方で、40代の人との違いも意識するんだけど、それは当人同士の違いというより「親の年の違い」が大きいんじゃないかと感じるようになった。

たとえば、固定電話やファクシミリがまだそれなりに健在だったり、現金主義だったりするのを、「電子化すればいいだろ」と思うのは僕もよくわかる。実際に、自分でそれほど使うわけではない。

ただし、80を超える自分の親世代のことを思い起こすと「そうは言ってもな」という感覚になる。パソコンや携帯も使っているようでいて、どこかに「壁」があるのだ。この辺りの感覚などは、40代の人だとちょっと違うかもしれない。

もっと、大きな差は「親を送ったかどうか」ではないだろうか。同世代と話すと、既にどちらかの親を亡くしているいる人が多い。既婚者で「それぞれの親4人が元気」ということは稀だ。僕の場合は、48歳で父を送っている。

この経験は、大きい。「次は自分の番」であることを否応なく突きつけられる。そして、残った親の老いを目の当たりにしながら、答えのない自問をする。 >> 40代と50代の違いは、「親の年齢の違い」なのだとも思う。の続きを読む



銀行員の転職希望者が急増しているという。まあ、あれだけ急激な人員削減策を打ち出されれば、「売り手市場のいまのうちに」と考える人が多いのも自然だろう。そもそも、傍から見ていても「どうしてそんなに?」と思うほどの大量採用をしてきたわけだけれど、疑問に思う人はいなかったのだろうか?

では、いまの日本の銀行員が「よし、転職するぞ」と考えて果たしてどうなるのか?転職した先でキャリアを拓けるのか?

「優秀な人はどこへ行っても大丈夫」と言ってしまえばそれっきりだけど、銀行員の人は他の業界にはない「自分たちの癖」を知っておいた方がいいと思う。

いろいろな業界の人と仕事をしてきた感じだのだけれど、銀行員の人々の特徴として「疑うことを知らない」という人が多いと思うのだ。
銀行員は官僚型のピラミッド組織であるとは、よく言われる。しかし、公務員のような人たちは、自分たちが「官僚的である」ことを自覚した上で行動していると思う。「まあ自分たちは官僚だから」と諦める人もいるが、「官僚的であること超えよう」という人もそれなりにいる。

ところが、銀行員の人は官僚的であることに無自覚なんだなぁと思うことがある。日本の大手金融機関は、徹底的に、「型から入る」のだけれど、「型より出でる」ことができる人は少ない。 >> 「銀行員の転職」が成功するための1つの条件。の続きを読む