米国のいわゆる「入国制限令」には驚いたけれど、今日のニュースでその賛否を問う世論調査の結果があってさらに驚いた。

賛成が49%で、反対が41%だ。「賛否分かれる」という見出しのメディアもあるが、この差は想像以上に大きい。ロイターの調査でサンプルも十分にある。

基本2択の賛否調査だと、昨年の英国のEU離脱や米国大統領選を思い出すが、もっと競っていただろう。

NHKのニュースサイトには慶大の渡辺靖教授のコメントがあるが、これが興味深い。

「アメリカで起きている抗議デモなどを考えると49%が賛成というのは意外だが、調査のやり方に問題がないとすれば、自国の安全に対するアメリカ国民の憂慮の現れではないか」

氏のコメントはいつも比較的ニュートラルな印象があるけれど、わざわざ、「調査のやり方」にまで言及しているあたり、驚いているようだ。同時期のギャラップの調査だと支持率より不支持率の方が高いので、政策への賛否とはまた別の構造になっているのだろう。

そして、共和党支持者の51%が「強く支持」で、民主党支持者の53%が「強く反対」ということも、伝えられている。

ただ、それならどうしてここまで賛成が多いのか?ロイターのサイトに行くと、手掛かりがあった。

まず、全体が1201人で、民主党支持者は453人で共和党支持者は478人。やや共和党支持者が多いが、問題はここではない。

「賛成:反対」の比率を見てみよう。

共和党支持者は82:13。「どちらとも言えない」が5%。

民主党支持者は23:70。「どちらとも言えない」が7%。

つまり、民主党支持者の中にも今回の入国制限を賛成している人が、20%以上いて中間を含めると3割になる。この「揺れ」が全体の差になっているのだ。

さらに「安心感が増した」は全体で31%にとどまり、逆は26%。この質問についてはそもそも「どちらとも言えない」が43%に上る。

つまり入国制限令自体は「やってよかったんじゃない」が民主党支持者にも一定数いる一方で、効果については全体的には懐疑的という感じだ。

他社の調査データもそのうち出てくるだろうが、いずれにしてもこれが米国全体の空気感なのだろうし、少なくても報道で伝わる感じとは相当異なる。

先の渡辺氏がいみじくもコメントしていたが「抗議デモ/集会」のニュースはそうした錯覚の一因になりやすい。もちろん、それが政権をひっくり返す勢いになることもあれば、結果的には「一部の行動」が過剰に拡大されることもある。

日本でも一昨年の安保法案の時は、相当デモや集会があって内閣支持率も低下したが、その後は回復した。一方で韓国の抗議活動は政権を崩壊させている。全体の縮図かどうかは、それぞれなのだ。

いずれにしても、「デモ/集会」のニュースは、気を付けて見た方がいいと思う。メディアの気分は、もしかしたら冷戦崩壊の四半世紀前から変わっていないのかもしれないが、あの時はインターネットもなく、現在ほど世論は複層的ではなかった。

米国民がこぞって反対しているように報じれば、この調査結果をもとに「報道は嘘だ。国民の多数派支持してる」とtwitter攻撃のネタにされるだけかもしれない。

デモや集会に参加していない人たちが何を考えているのか。そこを深く知り、考える必要があるのだろう。

そう思うと「米国は移民の国」のような観念論で、問題は解決できるのか?それは「日本は侍の国」とどこが違うのか?この辺りの冷静な議論としては、三浦瑠麗さんのこちらのエントリーが、とても説得力があった。

いずれにしても、大統領の政策に嘆きつつも、報道に対しても覚めた目を持たなくちゃいけない。ああ、大変だ。

そして、ついつい猫動画でも見たくなる。あれが流行るのも本当によくわかるよ。



 

人をどのような代名詞で呼ぶか?というのは日本人にとっては、なかなか議論の尽きない話だ。日本語の代名詞についての特徴は、以前こちらでも書いたが鈴木孝夫氏の「ことばと文化」が実におもしろい。

そうした代名詞の使い分けは面倒だけれど、意外なメリットもある。

銀行を装っているメールなのに「貴様のアカウント」とか書いてあるために、一発で「これはダメだろ」とわかる。外国人の詐欺団にとって、日本語は参入障壁なのだ。

そして、欧米語に比べると、代名詞だけではなく、「おじさん」などの「親族名称」でを使い、それが時には他人にも使われる。

というわけで、人の呼び方はいろいろだが自分の配偶者をどう呼ぶか?というのはなかなか難しい。

そんなことを考えたきっかけは作家の川上未映子氏が書いた『「主人という言葉が心底嫌い」というタイトルの文を読んだからだ。

彼女は、自分の夫を「主人」と呼ぶのを聞くと気が滅入るという。また妻を「嫁」と呼ぶことも嫌いだという。「主人」も「嫁」も差別用語として認識されるべきという話だった。

個人的には「嫁」は使わない。彼女の書くように「夫」「妻」でいいとは思う。だから主旨は理解できる。でも、この文章には何だか違和感がある。

どうしてだろう? >> 「主人」も「嫁」も、嫌うのはわかるんだけどさ。の続きを読む



IMG_2287先日、自宅に近い駅を通ったら警察が非常線を張って歩行者の通行規制をしている。パトカー、救急車、消防車まで出ていて「ああ、事故なんだな」と思って見たら歩道にタクシーが乗り上げていた。

提灯でもカタツモリでもない「かまぼこ」のような行燈のクルマだ。

後でニュースを見ると、運転手と一名の通行人が負傷したようだが、この事故後の印象だと「幸運だった」と思う。駅前の信号にぶつかっているのだから、ほぼ一日中人が多いところだ。

運転手は50代ということで、その後の詳しい情報はわからない。最近はこうした事故が結構多く、原因もさまざまだ。そういえば、福岡の病院での事故も個人タクシーだった。

ただその光景を見ながら、ここ最近タクシーに乗る時は「個人」を避けていることを思い出した。

いま、仕事をする時は基本的に電車で移動する。ある程度の歳になると、タクシーに乗るのは「カネを払って脂肪を買う」ようなものだと思ったからで、歩くようにしてるからだ。

ただ、昨年前半のことだが、妻が脚を痛めた。膝が殆ど曲がらない状況で、杖なども使っていたこともあり、ちょこちょことタクシーに乗った。 >> 個人タクシーを避けるようになった理由。の続きを読む



定額ストリーミング、つまり「聴き放題」のサービスは、たしかに音楽の「買い方」を変える。だから音楽ビジネスが根っこから変わることはまあ分かる。ただ、単に消費行動を変えるだけじゃなくて、「音楽とのつき合い方」を変えるんだと思ってる。

それは「食べ放題」に似たところがあると思うんだけど、意外と議論されてない気もしている。

僕が音楽を聴いてきた経験の中で、まず起きた大きな変化はデジタル化だった。具体的には、CDの出現だ。いまでこそ「LPは音がいい」とか言われているが、それは相当のシステムが前提だと思う。

少なくてもCDが出た時は、そのクリアさに驚いた。それになんと言っても扱いが楽だ。そういえば、ちょっといいカートリッジを買ったばかりに、針を買い替えるために安い店を探していたことを思い出す。

そういう気苦労から解放されたわけだが、実際に聞き始めた時にも変化があった。好きな曲だけをスキップするようになったのだ。長いシンフォニーでも、間のアダージョを抜かしてフィナーレに行ったりする。

つまり、今では当たり前の「つまみ食い」が可能になったのだ。もちろんシャッフル機能もあって、それをうまく利用したのが「百人一首」のCDで、「アタマいい人いるな」と感心したことを覚えている。いまならアプリがあるのだが。

というわけで、この「つまみ食い」というのが「聴き放題」と「食べ放題」に共通する。食べ放題では、料理の順序については食べる方に任されている。

そこにシェフの意志はない。同じように「アルバム」に込められたアーチストの意志は、消費者によって再編集される。というか解体されてしまう。もちろんLPからカセットに録音して編集する人もいたが、一般的ではなかっただろう。

そして、「つまみ食い」ができるビュッフェでは「後悔」がない。味が好みかどうか分からなければ、ちょっとだけ食べればいいのだ。これもまた「聴き放題」と同じで、「なんか違うな」と思えば、別の曲に行く。

それだけである。

「食べてから後悔」も「買ってから後悔」も、たしかに悔しい。特に、学生時代に悩んで買ったディスクがスカだったりした時のことはよく覚えている。だから、今の学生はいいよな、と思ったりもする。

でも、敢えてひねくれたことも考える。実は「なんだあの曲」とか「どうしてあんな演奏?」のような疑問を持つことで、「本当にすごい音楽」のインパクトがあったんじゃないか。いっぽう「聴き放題」で育った世代は、そうした疑問を持つことはないだろう。

それが、どんな変化をもたらすかはわからない。

どんなに腕のいい料理人でも、食べ放題のビュッフェでその真価を出すことには限界があるだろうし、そのスタイルで最も満足度を高めるように料理を作ると思う。

同じように、「聴き放題」の音楽マーケットでは送り手のあり方もまた変わるだろう。

そこで、どんな音楽が生まれてくるのだろうか。ライブとの関係はどうなるのか。

食べ放題とはいえやがて「お腹いっぱい」になるように、聴き放題だって「時間いっぱい」になる。人間の時間は有限で、音楽を聴ける時間はその一部だ。

僕はそこまでして、自分の時間を音楽で埋めたいのか。しばらくはspotifyを定額で使うんだろうけど、いろんなことをついつい考えてしまう。



IMG_2269街を歩いていて「この辺にコンビニがないかな?」「カフェがあるかな?」という時に、スマートフォンなどの地図で辺りを調べる人は多いと思う。僕はiPad miniでグーグルマップを開く。

特定の店の名前で調べれば、水滴をひっくり返したようなアイコンだが「コンビニ」などカテゴリー名を入れると左側に虫眼鏡のようなアイコンが出てきて、近くのエリアのコンビニエンスストアのリストが出て来てくれる。

で、これを重宝している人は多いと思うのだけど「バー」を調べたことはあるだろうか。

グーグルマップで「バー」を検索すると、どうなるか?

この写真のように、「もしかして」とグーグル先生に疑われた上に、なんとも斬新な代案を提示してくれる。

「千葉県八街市八街は」

なんで八街?というか、そこはどこなんだ?と思って見ていくと、千葉県の佐倉の先の方だ。カインズがあって、「昭和ネオン千葉工場」があって、元駒場遺跡という所もある。ちなみに読み方は「やちまた」だ。

しかし、バーがある気配はない。というか、僕は「バー」を探したかったわけで、千葉に行きたいわけではない。

ずっと前からそんな状況だったのだけれど、まあ仕方ないんでバーに行く時は知ってる店に行けばいいやと諦めていた。八街はちょっと、遠い。

で、いきなり思いだして気になり、この画面をフェイスブックに投稿して「誰か教えて~」と呼びかけてみた。 >> グーグルマップで「バー」を検索すると、千葉県八街に案内される謎について。の続きを読む