弁当が燃えたらしい。

内閣府の「女性応援ブログ」がいわゆる「弁当」作りで有名な女性の記事をツイッターで紹介したところ、相当批判が寄せられたそうな。「プレッシャーがかかるだけ」と感じる女性は多いようで、そりゃそうだろうと思う。

お弁当というのは、日本人にとって単なる携行食ではないと思っている。多くの人は幼少期から、高校の頃まで母がつくった弁当を食べる機会も多く、それはまた食の記憶のなかでも独特の位置を占めていると思う。

少し前に東京ガスが弁当をテーマにしたCMを制作して話題になったが、あれは日本人の「弁当コンプレックス」のようなものを突いたんじゃないだろうか。

コンプレックスというのは、特定の事象と複合した心理だ。そして、日本人は弁当に、それぞれ固有の思いがある。それは子どもが遠足に行って、昼を迎える時の期待感かもしれない。また入試の日に、重圧の中で感じる優しさかもしれない。いっぽうで、どこか気恥ずかしさと一体になった記憶もあるだろう。

高校の頃だが、ときどき弁当を隠すように食べている人がいて、別にフツーの弁当なんだけれど、そういう心理もまた弁当がただのメシとは違うから生まれてくるんだろう。

このコンプレックスは、単なるマザーコンプレックスという記憶の心理とも異なる。やがて自分が親になると、弁当作りに直面する。そして、今度は作り手として「この弁当でいいのだろうか」と日々悩み頑張る。弁当箱を開ける期待があったからこそ、「気に入ってもらえるのか」という不安もまた湧いてくる。 >> 日本人の弁当コンプレックスと、褒めたがりの政府と。の続きを読む



「ていねいな暮らし」という言葉がいつ頃からチラホラと見られるようになったが、どこかとってつけたような表現で、その世界観には「本物の顔をした偽物」の空気を何となく感じていた。

ジェーン・スーの「ていねいな暮らしオブセッション」というコラムを読んで、「そうそう」と笑っていたのだが、ここに来て事態はややこしくなった。

どうやら、自分の生活は他者から見ると「ていねいな暮らし」らしいのだ。

きっかけは、妻が同年代数人と話していたことに遡る。自宅でお茶を淹れる時に急須を使っているといったら、他の人は誰一人急須でお茶を淹れてなかったそうな。ティーバッグ、ペットボトルか、粉末茶など。

結果、周りから「山本家は優雅」と認定されたらしい。そんなものなのか。

で、「実は自分たちは『ていねいな暮らし』なのか?」と、気になっていろいろ調べたのだが、以下のような行動が該当しそうなのだ。

・糠床を毎日かき回して、糠漬けを漬ける(担当は自分)

・万年筆で暑中見舞いなどを書く(これも自分)

・毎朝コーヒー豆を挽いてドリップする(妻が作って二人で飲む)

・梅干を漬ける(これは妻がやっている)

・玄米を食べる(白米と半々だけど大概そうしてる)

なんと、僕たちは「ていねいな暮らし」の人だったのではないかという疑惑は膨らむ一方である。 >> 「ていねいな暮らし」という、ていねいでない言葉。の続きを読む



今さらではあるけれど、服を買う時に店員が使う「きれい目」という言葉が気になっている。何がきれい目か?という前に日本語としての語感も引っかかる。

なんで引っかかるんだろう、と思ったが、まず「きれい目じゃない服ってなんだよ?」ということ。「早め」の反対が「遅め」なんだから、きれい目の反対は「汚い目」?とか思ってしまうが、そういうわけでもない。

で、気づいたんだけど「きれい目」であって「きれい」ではない。これは、「中央値よりややきれい」なニュアンスだと思うんだよね。

「強く」がフォルテなら、「強めに」がメゾフォルテ。だから、すごく頑張ってきれいなわけじゃない。

「きれい目」で画像検索かければ分かるわけで、まあ爽やかで、サッパリした感じの服がならんでいる。

そういうわけで、実際に店の人に聞いてみたりした。「きれい目って、どんなこと言うの?」って。ネットで調べてもよくわからんのだけど、実際にプロが語っているようなサイトもなかなかない。

いろいろ聞いてわかったのは、みんな何となく使っているけど、共通してるのは「きちんとしてる」というニュアンスだった。すくなくても「ラフではない」し、ダラダラし感じじゃない。

「職場にも着て行ってOK」という感じでもあるようだ。 >> 服を選ぶ時に聞く「きれい目」って何なのか?と、店の人に聞いてみたら。の続きを読む



higashinakano最寄りの駅はJRの車庫がある。乗務員が交代したり休憩したりするので、ちょっと変わった風景が見られる。

昼に定食を出す和食屋で昼から刺身を頼んでビールを飲んでいたり、なぜか14時からやってる居酒屋があったりするのも、実は変則勤務で昼に仕事が上がった人が結構いるからだ。そういう店には壁にJRのカレンダーがかかっていたりする。

時折、制服のままでランチを食べに行く人たちもいる。しかも、あの謎の四角いバッグを持ったままで街を歩いている。いったい、あれには何が入っているのか。

そう考えると、鉄道職員同士の世界って、なんだか不思議だ。どんな会話をしてるんだろ。

「いやあ~今朝の西行きの混み方はひどかったねえ」

「錦糸町の乗降があそこまでかかるとなぁ」

みたいな話だったりするんだろうか。

そういえば、昨年のクリスマスの朝に電車を待っていたら、若い女性乗務員が交代のためにホームの端で待っていた。そして、向かいのホームに上がってきた同年代の男性乗務員と目が合うと、笑って手を振っていた。男性の方がちょっと照れていて、なんかクリスマスもいいなあと思った記憶がある。 >> 「ウルトラマンスタンプラリー」で気になる、鉄道職員の世界。の続きを読む



vaue昨日の東洋経済オンラインに掲載された『マクドナルドの「謝罪」は、何を間違えたのか』という記事を思って、ちょっと感じたことを書いておこうかな、と。

記事の主旨は、一連の不祥事に対してのマクドナルドのメディア対応が不適切であり、どうするべきかという視点での内容だ。たしかに、一連の事件における同社の対応はいろいろと問題があったとは思うし、記事全体の指摘はおおむね理解できる。そして、このような不祥事が起きた際には、「企業が平常時につきあっている経済部記者より、社会部記者が主導権を握る」という指摘のあとで、「社会部メンタリティ」について以下のような記述があった。

(以下引用)不祥事や事件に日々直面する社会部記者は、謝罪会見で不祥事を起こした企業の正当性を聞こうなどという気はない、と考えたほうがいい。彼らは、ひれ伏す企業のトップを国民に紹介することを頭に描きながら会見場にやってくる。マクドナルドは、そういった不祥事におけるマスコミの「社会部メンタリティー」を全く理解できていなかったといえる(引用ここまで)

これはあくまで一般的な「社会部メンタリティー」を指摘しているのであって、この文を書かれた方が同じメンタリティーを持っているかどうかはわからない。でも、この一文を読んだ時の「いやぁな感じ」ってなんなんだろうかと思った。

簡単にいうと、ここで書かれているメンタリティーを持った人には近づきたくないな、という感覚だろうか。そして、最近のジャーナリズムに対する一般人との意識のかい離が、なんとなく浮き彫りにされたと思うのだ。 >> 日本のジャーナリズムは「二流の桃太郎」なのか。の続きを読む