内閣支持率が安定している。昨日の日経の調査では60%で横ばいだし、少し前の他社の数字も数値は異なるが安定している。最近は調査法によって各社の数値の幅があることも知られているが、全体傾向としては安定と言える。

森友学園のスキャンダルは、かつてであれば支持率に相当な影響を与えたと思うし、失言による閣僚辞任もダメージにはなるだろう。

調査している新聞社も、そのあたりのことは何となく腑に落ちないようで、朝日が週刊文春の編集長にそのあたりのことを訊ねていた。

「それは極めてわかりやすい話で、安倍首相の代わりがいないからです」ということだけど、だからと言って「支持」を続けるのだろうか。

で、ふと思ったのだけど、「支持率」という言葉を「容認率」と読み替えてみると、腑に落ちるのだ。 >> 内閣支持率は、「容認率」だと思えばいいんじゃないか?の続きを読む



「学芸員はがん」と言った大臣が、発言を撤回した。

これは、二重の意味で残念だと思う。一つは明らかな罵り言葉で失言したこと、もう一つは美術館や博物館をめぐる議論の機会が失われかねないことだ。

芸術などの世界では先導者の役割が大切だ。たとえば、いまの日本美術への関心が高まったことの一つには、『奇想の系譜』などで知られる辻惟雄氏の存在が大きい。

学芸員という存在はあまり知られていなかったかもしれないが、最近は表舞台に出ることもあるし、その力量が施設や展覧会を左右する。英語ではcurator、一部の方の大好きな「キュレーション」というのはこの辺りが語義になる。

昨年の大みそかにNHK教育テレビ、どうもEテレとか言いたくないけど、そこで「ゆく美くる美」という企画があった。日曜美術館の特別版みたいなもので、美術シーンを回顧して展望する。何名かの学芸員の方が登場していて、その見識や発想がさすがだなと思った。

で、観光との兼ね合いからああいうことを言ったようだが、たしかに優れた企画は人を動かす。僕は今年になってから、熱海のMOAのリニューアルを見たくてわざわざ行ったし、茨城の方で人に会う用事は水戸の展覧会に合わせた。唐招提寺の障壁画が見たかったのだが、遠方からも来ていたようだ。 >> とはいえ学芸員が「聖域」になったら、それはまた違うと思う。の続きを読む



本屋大賞は、直木賞だった。初の「ダブル受賞」ということで、それだけの作品なのだろうけれど、じゃあ本屋大賞って何のためにあるんだろうか。

その趣旨を見ると「売り場からベストセラーをつくる!」とある。でも、「蜜蜂と遠雷」は既にベストセラーだろう。「売り場から」というのは、いわゆる文学賞とは一線を画したいという志だったんだろうけれど、直木賞と「ダブル」なのだ。

もともとは、「プロの目で面白い本を紹介する」ということが趣旨だったんだろう。ところが、近年になって単なる販促キャンペーンにしか見えない。仕方ないといえばそれまでだけど、それが文学界にとってどうなんだろう。

一方で、昨年の受賞作を読んだときは思わず唸ってしまった。「ウウム」と唸るのは、感心した時もそうだけど、逆の時もあって、これは逆の方だ。本の批判をダラダラ書くのは気が進まないけど、とにかく登場人物の行動に必然性がない。心の底にある動機がみえてこない。

そういえば、最近の小説だと『羊と鋼の森』もそうだが、『暗幕のゲルニカ』も唸った。中学生の頃に読んだ五木寛之の小説を思い出す。そうか、中学生だったらいいのかもしれない。 >> 最近の「本屋大賞」は、なんか違うんじゃないか。の続きを読む



そして「忖度」は今年の流行語になるのだろうか。というか「旧語脚光部門」でもつくって、賞を差し上げてはどうか。そうすると、誰にやるのか。まあ、どうでもいいんだけどこの「忖」の字がまた曲者で、芸能人を集めたクイズなどにはもってこいだっただろう。もう今年から難読でもなくなりつつあるが。

それにしても、首相が「忖度の働く余地は全くなかった」というのも、この言葉の本質を考えれば奇妙なことだ。

まず、忖度とは内面心理のことだ。そして、首相は「忖度される」側なんだから、ないかあるかはそもそも分からない。それを、また第三者が「認めるべき」と言ったり、「あったのか」と尋ねるのも変だ。

この「忖度」を「恋愛感情」に置き換えればよくわかる。「○○から恋愛感情を持たれることはない」と言ってる人がいて、他方に「あれは恋愛だったようなものだと思ってる」という人がいる。

これは、もう外から見ればある種の痴話喧嘩で、それがこの事件の本質のようにも見えてくるからおかしい。

で、話は異なるが「我が家で忖度されているのは誰か?」という話になったのだが、結論はすぐに出た。

猫である。 >> 猫は忖度され、犬は忖度する。の続きを読む



昨日から今朝のニュースを見ていて気になったことがあって、それは男子マラソンのことだ。びわ湖毎日マラソンで、日本勢はあまりふるわず記録も低調だった。

それ自体はあまり驚かないのだけど、瀬古利彦氏が「喝!」という見出しがあったので、なんとなく覗いてみた。

いや、陸上界のことは詳しくないので瀬古が「評論家」として叱咤しているのかと思ったんだけど、違ったのね。

「日本陸連の長距離・マラソン強化戦略プロジェクトリーダー」としての言葉だったのか。

うわあ~、これキツイなあ。報道陣向けのジョークじゃないんだよね。複数のスポーツ紙のサイトから見ていくと、こういうことを言ったらしいんだけど。

「これ以上のコンディションはない。7、8分台は期待した。なぜ走れないのか分からない。大喝ですよ」

(それを分析するのが指導者の仕事で、わからない時点で適任なのかな?)

「ショック。裏切られた。これで走れないんじゃあ、東京(五輪で)走れるわけないよ」

(裏切る、っていうけどランナーはボスのために走るんじゃないよね)

思い出したのは、業績が悪化した時に「社員が働かない」と言って大ひんしゅくをかった、昔の富士通の社長だ。そういえば、東芝の経営陣もそんな感じで「売り上げ伸ばせ」とかおおざっぱな「喝」を言っていたら、こんなことになってしまった。 >> 瀬古利彦は「リーダー」なのか「評論家」なのか?の続きを読む