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ともかく、長い。というか、1000頁を超える小説ならいくらでもあるんだけど、それを一冊にしてしまうのだから、これは本ではなくオブジェを売っているようなものかもしれない。

読んでいて眠くなったら、そこに頭を載せたくなる。硬い枕が好きな人なら、十分行けるのではないだろうか。ただ、タイトル通りのお話なのでどんな夢を見るかは心配ではあるけれど。

さて、京極夏彦の書く新撰組はそのタイトル通り、殺気に満ちている。主人公は徹底して土方歳三だ。その発想は「あるだろうな」と思うんだけれど、彼は「人が殺したい」という動機だけで、武士になろうとし、仲間を糾合していく。

だから、新撰組のストーリーにある種の美しさや幻想を抱いている人にはお勧めしにくい。出て来る者たちは、やたらと「人外」、つまり人でなしだ。沖田総司などは土方以上のサイコパスで、土方の目には、その貧相な要望は「鼠のように狡猾」で、やがて「ドブネズミ」扱いだ。それなのに、沖田は猫でも犬でも人でも殺す。

芹沢鴨のひどさは、一段と強調され、山南の哀れさはさらに際立つ。

それにしても、新撰組は常に内部が活火山の底のように揺れていて、いわゆる「内ゲバ」の連続だ。本作では「滅びの美学」などという生易しいものではなく、そこには「醜い死」が積み重なるだけである。 >> 元祖サブカルチャーとしての新撰組~京極夏彦『ヒトごろし』【書評】の続きを読む