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71-dHrYk2lL東浩紀 大山顕 『ショッピングモールから考える~ユートピア・バックヤード・未来都市』幻冬舎新書

 

本書は2015年に電子書籍のゲンロン叢書から発行された対談が元になっている。思想家の東氏と、フォトグラファーの大山氏。大山氏が「工場萌え」などの写真集などで知られるように構造物に対しての知見を繰り広げながら、東氏がかねてか論じてきたように、モールの現代における意義を改めて語る。というような感じでもあるが、実際は話は広がり、混沌としながらも、いろんな発見のある本だった。

ショッピングモールと言えばグローバル資本主義の象徴であり、日本でも多くの商店街を「シャッター通り」化した張本人のように語られることが多い。そこに対して「新しい公共性」を考えるというところからこの対談は始まる。

東氏が東京の西荻窪という大変「意識の高い街」に住んでいながら、子どもができた途端に厳しくなったという話が冒頭の方にある。店には入りにくいし、街なかはベビーカーで移動しにくい。そうした経験をもとに、「顔が見える」商店街が本当に優しいのか?という問題提起から話は始まる。弱者に優しいのは、モールではないか?と。

この発想から、構造物のモールを見ると「内と外が逆転している」という大山氏の指摘が出てくる。モールの写真を撮ろうとすると、どうしてもうまくとれない。一方で象徴的な空間は吹き抜けだという。つまりモールの本質は快適な内装にあるのだから、建物の携帯は意識されない。

この辺りの話だけだと「まあ、そりゃそうだろ」となるのだけど、整えられた内に対して、外はすべてバックヤード化されていて、それがスターウォーズのデススターと似ている話に広がり、デススターの外観と東京の空中写真が似ていて、それは屋上がバックヤード化しているからだとかいうように展開される。

そして、トマス・モアの「ユートピア」出てくる島が、モールの構造と一致しているという具合に、話はどんどん広がっていく。

実は、この奔放さがこの本の面白いところだ。 “ショッピングモール”というテーマから生まれた変奏曲が、どんどん姿を変えていくさまは一読の価値があると思う。

建築や流通、都市工学の専門家やなどが見たら、いろいろと突っ込むのだろうと思う。しかし、そうしたプロこそが凝り固まっていて見落としていた発見のようなものが結構詰まっていると思うのだ。

モールを「砂漠の中のオアシス」と見立てつつ、その構造のルーツをイスラム庭園じゃないか?と盛り上がる。もちろん、これはNo Evidenceと言いつつも、実際のモールの中の植物が「地中海性気候」の体現だ、という話でまた唸らされる。

個人的な感覚としては、実はそんなにモール好きではない。ただし、この本が単なる与太話に見えるようだったら、少々アタマが固くなってるのではないかな。

その辺りの話の続きは、また明日に。