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電通のデジタル不正事件(記者会見の件もあってこういう呼び名になっているらしい)は、広告ビジネスの組織に関する問題が底流にあるのではないかと思ってる。

先日の大学の講義でも、このケースのことを取り上げた。後期はメディアについて突っ込んだ講義をするので、ネット広告の構造を知るのに恰好の課題だと思ったのだ。

あと、ネットに飛び交う「なんでもかんでも電通陰謀論」などに染まらないようにすることも大切だと思うし。

で、事件を報じる記事を見せて、まず学生にペーパーを回して質問を受けた。当然だけど「なぜ?」という質問が多かったので、日経ビジネスオンラインの記者会見詳報を見せた。

そして、会見の最後の言葉に注目して説明した。以下のくだりだ。

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「いま調べられている範囲のなかでは、最初から『故意にやった』ような内容は確認できていない。まず最初にミスがあり、あるいはミスとはいえなくても(社員の)力量と時間が足りず、発注いただいた通りに広告が掲載されなかった、あるいは、あとから気づいたら(発注された通りに)なっていなかった。たとえば広告主と約束した期間とズレたことを、そのまま報告せず、期間内に掲載されたかのように、事実と異なるレポートを故意にした、というケースはある。ですから報告を改ざんした、という意味での悪意は認められているが、ご質問のように最初から何かしてやろうということは現時点ではない」(太字筆者)
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読んで思ったのだが、これは、典型的な「未必の故意」ではないだろうか。この言葉の定義の細かな説明は省くけれど、「当初から明らかな犯意はないけれど、そうなるかもしれないと思って行動する」という心理状態のことをいう。 >> 電通デジタル不正「未必の故意」はなぜ生まれたか?の続きを読む