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広告・幸せ・象徴~①空のカーポート
(2008年9月18日)
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クルマ.jpg家の近くを散歩していると、駐車場の空きが目に付くようになった。もともとクルマがなくても生活には何の不自由もないエリアなので、そりゃそうだろうと言う感じではある。
新築の建売がずっと苦戦していたのだが、先日ようやく埋まった。カーポートがあるのだが、ふと見ると自転車が4~5台である。分かりやすいと言えば、分かりやすい。
だが、僕はクルマが好きだし、大人になったらクルマを持つのが通過儀礼のようだった世代でもあるので、感覚的には「何か寂しいな」と思うこともある。特に、一戸建てのカーポートが空いていると、そんな感じになる。
クルマと広告は縁が深い。自動車のキャンペーンをできるかどうか、というのが広告代理店の品質基準の一つであり、それは世界的に共通の概念だ、ということは十年ほど前は広告業界で普通に言われていた。
あらゆるメディアを駆使して、SP、PRなど総合力が求められる。準備期間も長く制作費もかかる。
そして、何よりクルマは家庭における、というか生活における「幸せの象徴」だった。これは甚だ20世紀的価値観ではあることは承知であるが、前世紀は広告ビジネスと自動車産業の蜜月の世紀であったとも言えるのだ。

広告表現における象徴の役割は大きい。だが、商品自体が象徴になるかどうかというと、これは結構難しいのだ。たとえば食器用洗剤。
これは洗剤のボトル自体が象徴になるかというと、それは難しい。真っ白な食器、家族の団欒、場合によってはキレイな食器を「キュキュ」と指でこする音が象徴だったりする。
だが、クルマは商品それ自体がシンボルになり得る。その物理的大きさが適度であり、デザインが機能を投影する。よく考えてみると、こういう商品カテゴリーはあるようでない。
コカコーラの瓶やi-podなどは象徴化できたものの一つだとは思う。
ともあれ、広告は商品の情報を通じて何らかの価値を提示することで成立するのだから、この価値が社会で合意されているほど、効果も効率も高い。そして、情緒価値まで包含されていることがベターである。
早い話がクルマの機能だけではなく、幸せ感が共有されていた時代は、広告とクルマは蜜月であったと言える。この続きを考えるには2つの視点があるように思える。
1つは、クルマがもう一度、生活の中の「幸せの象徴」になりえるのかということ。
もう1つは、他の商品が「幸せの象徴」として成立し得るのかということ。
日を改めてこの続きを。




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