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広告・幸せ・象徴~③「照れ隠し」としての動物たち。
(2008年10月 6日)



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広告と家族、についてもう少し考えてみたい。
さすがにクルマが幸せの象徴の座にいることが困難であることは、誰もがわかってきた。それは広告クリエイティブにおける中心地も変わったことを意味する。そうした中で、ここ最近広告費の面でも一番ホットだった業種は携帯電話だろう。
「だった」と過去形で書いたのは意味がある。普及率がここまで高まった上に、料金や契約システムの変化で顧客流動性の低いビジネスになったために、かつてのような派手な広告合戦は起こりえないのではないか、と思うからだ。
そして、携帯電話という商品と、「家族」や「幸せ」という面との相性は結構難しい。
クルマは、複数の人を限定された空間と時間に拘束する。したがって、その空間と時間が「幸せ」であることを描けば、まあそれがどんなに陳腐でも広告としては成立しやすかった。
一方で携帯は、人々を空間と時間の拘束から解放した。したがって、家族を描く時にはそれぞれを「離れ離れ」にする必要がある。

それを逆手にとったのがNTTドコモのかつてのキャンペーン「ケータイ家族物語」である。あの家族は故あって、一つ屋根の下には暮らしていない。
最近の携帯電話の広告で最も話題になっているのは、ソフトバンクの「白戸家の人々」だろう。まさに家族を描いている。
だが正面から描いているわけではない。犬が「お父さん」なのだから言うまでもなく擬似的家族である。しかし、もはや普通の家族を描いても、そこにリアルな幸せは見出しにくいのか、表現できないのか、陳腐になるのか。
あの犬は、そうした「照れ隠し」だと思う。普通に家族を描いても面白くないだろ、という勢いでの発想だったのかもしれないが、ある意味で日本人の心の中における「家族と幸せの揺らぎ」を象徴しているようなキャスティングにも見える。




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