マーケティングと広告との関係とか線引きについては、別に決まりがあるわけでもない。ただ、世の中には広告、特にマス広告をおこなわないマーケティング活動も山ほどあるので、広告を前提にして「マーケティングの変化」を論じると、本質を見失うのではないか。
広告=ラブレター論に「陥穽」を感じたのはそういう理由である。
ところが日本では広告業界がマーケティングについて発信している割合が多いために、広告を前提にした議論になるようだ。
近年の「AIDMAからAISASへ」というのも、その最たるものだろう。ネットの時代になってマス広告のような効果は変質する。それはそうだろうけど、AISASだって結局attentionを起点にしている。それは広告という「部分」からの発想である。
では、どんなモデルなのか?
消費者行動論で代表的な「購買プロセスの5段階」というのは、この図表のようになっている。スタートは広告からのattentionではない。問題認識=Problem recognitonだ。
ちなみにこの図はコトラーの「マーケティング・マネジメント」からの引用である。
この「問題認識」を引き起こすのが「刺激」で、「ああ、これが欲しい」と思う内部刺激と、他人のものをみて「あ、いいなあ」と思うような外部刺激があるということになる。
そして広告は外部刺激の1つとされている。
一方で、発生する問題を細かく見ると「家庭での在庫切れ」「故障」「使用環境の変化」とか他にもいろいろあって、それぞれ異なる方法での情報探索に入る。
ちなみに、ここでいう情報探索とは「知り合いに聞く」「店頭で比べる」なども包含されるので、ネット上での「情報検索」よりも広い概念になる。
そうなると広告などによるAttentionよりも、問題認識から情報探索の段階で情報接点が「ピタリ」と決まるマーケティング・コミュニケーションが理想になる。その場合、広告はone of themである。店頭においては、製品自体のメッセージ性がモノを言うかもしれないし、価格戦略もまた重要なメッセージである。
そういう議論をしたい、と多くの事業主が考えている時に、AIDMAからAISASというのは、やはりインナーサークルの話に見えている。事業主は広告業界が次々に繰り出すキーワードに対して、いささか食傷気味だ。それよりも一緒に売りの現場を知って欲しいと思っているのである。
一方で、アルファベットの語呂合わせよりも、そういう現場の声に応えようとする広告代理店の社員への期待は結構大きい。
もっとも広告ビジネスの利益を維持することが目的ならば、AISASを提唱した人は大変にcleverであるとは思うが、将来の消費者や事業主の利益に貢献するほどにwiseとは思えない。
それが僕の感覚である。
ありがとうございます。ちょうどもやもやしていたところなので、かなり腑に落ちました!
よかったです。スッキリしてください!
どうやったら「おや!?」と思ってもらえるか、
どうやったら最後のひと押しができるか、
といったように、AttentionやActionに影響を与えるものを考えるのが重要ってことですよね。
それを考える上で、問題認識が大切になるのかなと思います。
AIDMAやAISASは、
フローであって因果関係ではないってことですかね。
いわゆる「モデル」というのは、いろいろな要素をそぎ落としてある種理想的な形態にしているわけです。因果関係にはもっと色々なものが含まれていると考えていいのではないでしょうか?
確かに、そうですね。
フローであって因果関係ではないというのは、
誤解を招く表現でした、申し訳ありません。
『事業主は広告業界が次々に繰り出すキーワードに対して、いささか食傷気味だ。それよりも一緒に売りの現場を知って欲しいと思っているのである。』かつて、宣伝部側に身を置いていた者として、この指摘は共感以上の言葉です。研究開発部署の発表ほやほやのワードを、ご本人が(いや、その会社の営業マンさえ)理解しきれないうちに早速にプレゼンで使われて、新製品の落としどころを曖昧にさせられそうになりました。今でも、クリエィティブ畑では、CMは”ふりむかせる”ことや、”驚かす”ことなど、奇をてらうことが習性、いや要件だとする、アテンションゲッター論がさも当然の如く業界のシンポジュームなどで喧伝されていることが低レベルにさせている要因でしょう。問題提起をしてくれるほうが心にさざ波が起こしやすいのに、です。HDDで録画され始めて以来、私はHDDの中では見慣れた映像などはCM飛ばしもしています。ゴールデンタイムなどのタイムランク付けは消滅しましたね。ウエブの世界でも、A抜きで、Iか、Q(uestion)疑念とか確認からスタートしているのが現実ですね。